惜しいように思われる。もっと多くの人を欣《よろこ》ばせ、もっと多くの人を楽しませたらどんなにいいだろうと思うが、人間の器量は別で、これ以上伸びなければ仕方がない。
そこへゆくと久兵衛はまったく違い、性|濶達《かったつ》であり、その明快な性格にひとはおのずから惚《ほ》れ込んで、彼の店にお百度《ひゃくど》を踏みつつあるのが現状だ。寿司屋久兵衛の魅力は大したものである。寿司の魅力すなわち人間の魅力である。
しかし、ここでわれわれが考えさせられることは、新富《しんとみ》支店みっちゃんの場合、遠慮のかたまりのごとく細々としながら、どぎった寿司を作るということ、ここがおもしろいところである。久兵衛のごとき堂々たる人間が必ずしもどぎった寿司を作らないという点を、われわれは訝《いぶか》しく考えるのである。か細く見える人間が、ふてぶてしい作品をなし、たくましい久兵衛のごときが細々としたみっちゃんに及ばないという一点があることは、ひっきょう彼ら両人を作った教育環境が大きく影響しているものと考えてよいであろう。
しかし、かくのごとき酒の飲める寿司ができたのは戦後である。戦前は茶で寿司を食っていた。なにがそうさせたかといえば、それは寿司屋《すしや》が椅子《いす》に変わったせいである。
椅子がなければ昔のように立ち食いをしていたであろうが、現在では立ち食いの店構えを持ちながら椅子を置いている。椅子があれば酒が欲しくなる。これは終戦直後料理屋が不自由であり、いきおい料理が高額であったから、寿司で酒を飲むこと、ついでに飯《めし》を食うことを酒飲みが発見したのである。
これならいろいろの魚が食えて、飯も食えるから料理として満点である。高級料理屋では、自分の好きなものばかり食うわけにはいかないが、寿司屋では、まぐろ、あかがいを食うというように、いろいろなものが食える。この点、食べ物の自由がある。従ってこれほど重宝《ちょうほう》なものはない。しかし、これは、寿司屋と呼ぶより、自由料理屋と呼んだ方がふさわしいように思う。従来とはまったく様式の異なった新日本料理が生まれたのだ。
底本:「魯山人の食卓」グルメ文庫、角川春樹事務所
2004(平成16)年10月18日第1刷発行
2008(平成20)年4月18日第5刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
1993(平成5)年発行
初出:「独歩」
1952(昭和27)〜1953(昭和28)年
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年12月4日作成
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