の価値は常に手を繋《つな》いでいるのが本当であるが、伊・仏はどうであろう。食器にひけ目を感じている料理でもいけない。料理にひけ目をとっている食器でもいけないのが本筋である。現在、フランス料理に筋が通っていないのは、その世界に乱れがあるのであろう。それかあらぬか、われわれがフランス料理から学びとるものはほとんどなかったといい得る。これは料理文化の低さを語るものであるが、根本は料理素材の貧困である。いずこいかなるところにあっても、第一番の気がかりは「良水」の有無である。良水を欠く料理、それがなにを生むかは何人《なにびと》にもうなずける事実である。その良水がパリにないとのことである。ビールより高価な壜の水を飲んでいる市民である。次に肉食人に美肉が与えられていない。羊肉、馬肉を盛んに食っている。豚は鎌倉に匹敵するよさを持っているが、鶏肉は雛であるから味の鳥としては推奨できない。しかも、拙劣な料理法によって煮殺している魚介ときては、品種が日本の百に対して一、二であろう。蔬菜またしかりという次第。これでは、われわれ美食家を満足させる手はない。抽象的な概説ではあるが、だいたいフランス料理というものは
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