インチキ鮎
北大路魯山人

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)桶《おけ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)タレ[#「タレ」に傍点]
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 前に村井弦斎のわた抜きあゆの愚を述べたが、あゆは名が立派だけにずいぶんいかがわしいものを食わせるところがある。そうしたインチキあゆのことを、少し述べよう。
 東京ではむかし生きたあゆは食えなかった。生きたあゆどころか、はらわたを抜き取ったあゆしか食えなかったので、解釈によっては、昔の東京人はインチキあゆばかり食っていたのだといえないこともない。
 そこへいくと、京都は地形的に恵まれているので、昔から料理屋という料理屋は、家ごとにあゆを生かしておいて食わせる習慣があった。料理屋ばかりでなく、魚屋が一般市民に売り歩く場合にも生きたあゆを売っていたくらいだ。
 わたしたちの子供の時分によく嵯峨桂川あたりからあゆを桶《おけ》に入れて、ちゃぷんちゃぷんと水を躍らせながらかついで売りに来たものである。このちゃぷんちゃぷんと水を躍らせるのに呼吸があって、それがうまくゆかぬとあゆはたちまち死んでしまう。これがあゆ売りの特殊な技術になっていた。
 そんなわけで、わたしはあゆを汽車で京都から運ぶ際に担《にな》い桶をかついだまま汽車に乗り込ませ、車中でちゃぷんちゃぷんをやらせたものであった。もちろん駅々では水を替えさせたが、想い起こしてみると、ずいぶんえらい手間をかけて東京に運んできたものである。たかだか二十五、六年前のことだが。
 しかし、いずれにしても、あゆをそういう工夫によって長く生かしておくわけにはゆかない。本当の生簀でもあゆを入れておくと、どうしても二割ぐらいは落ちるものが出てくる。これとても食えないことはないが、味がまずい。単にまずいばかりでなく、第一塩焼きにしても艶《つや》がなく、見た目にも生き生きしていないから料理にならない。そこで料理屋はこれにタレ[#「タレ」に傍点]をつけて照り焼きに仕上げるのである。まさかこればかりを客に出すわけにもいかないから、活《いき》あゆの塩焼きといっしょにして「源平焼《げんぺいや》きでございます」などといって出す。それを知らないで、中には自分の方から源平焼きをくれなどと注文して料理屋を喜ばす半可通もないではなかった。
 半可通といえば、東京にはもっとひどい話があった。なんでも大正八、九年の好況時代のことだ。日本橋手前のある横丁に、大あゆで売り出した春日《かすが》という割烹《かっぽう》店があった。これは多分に政策的な考えからやっていたことであるらしい。ところが、このあゆが非常に評判になった。一時は春日のあゆを食わなければ、あゆを語るに足りないくらいの剣幕であった。しかも、会席十円とか十五円とか好況時代らしい高い金を取っていたのであるから、馬鹿な話だ。なにしろ世間の景気がよくて懐に金がある。そこへ持ってきて、大あゆなるものが東京人士には珍しい。あゆの味のよしあしなどてんで無頓着な成金連だから、あゆの大きさが立派で、金が高いのも、彼らの心持にかえってぴったりするというようなわけで、自己暗示にかかった連中が、矢も楯《たて》もたまらず、なんでも春日のあゆを食わなければという次第で、この店は一時非常に栄えたものだ。
 あまりの評判だからついにある日、わたしも出かけてみた。行ってみると、そのあゆなるものが、まるでさばみたいな途方もない大きな奴《やつ》で、とうてい食われた代物《しろもの》ではない。仕方がないから、腹の白子を食って帰って来たが、どうしてこんなものが評判になったのかといえば、今いった通り、あゆというものをてんで知らない連中が、大きくて、いかにも立派なものだから、それにすっかり魅せられてしまったのだろう。
 料理人の野本君は才人でもあり、太っ腹の男でもあったから、時に応じた考えから、大あゆばかりをたくさん取り寄せ、それを葛原冷凍に預けて、出しては食わせ、出しては食わせていた。それにあゆの本当を知らぬひとびとが、彼の政略にまんまと引っかかった。しかし、この店も料理人の野本君が出てからは、なんだかすっかりだめになってしまった。
 だが、こんなインチキが、必ずしも過去の語り草ばかりではなく、現在築地あたりでこの手をやっているところがないではない。
 ある日河岸へ行ってみると、あゆのついた弁当が十五銭でできるという話をしている者があった。腐っても鯛という諺《ことわざ》はあるが、いかになんでもあゆである。安くても三十銭や五十銭はするであろうのに、あゆをつけて一つの弁当にしたのが十五銭とは何事だと、これには私もいささか驚いた。
 ところが、底には底があるもので、河岸あたりであゆが売れ残ると、これを冷蔵庫へストックしておく。そ
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