、ハンディキャップをつけて話を聞かなければなるまい。
冬から春にかけて、しびまぐろに飽きはてた江戸人、酒の肴《さかな》に不向きなまぐろで辛抱《しんぼう》してきたであろう江戸人……、肉のいたみやすいめじまぐろに飽きはてた江戸人が、目に生新《せいしん》な青葉《あおば》を見て爽快《そうかい》となり、なにがなと望むところへ、さっと外題《げだい》を取り換え、いなせな縞《しま》の衣をつけた軽快な味の持ち主、初がつお君が打って出たからたまらない。なにはおいても……と、なったのではなかろうか。
初がつおに舌鼓《したつづみ》を打ったのは、煮たのでも、焼いたのでもない。それは刺身《さしみ》と決まっている。この刺身、皮付きと皮を剥《は》ぐ手法とがある。皮の口に残るのを嫌って、皮だけを早く焼く方法が工夫された。土佐の叩《たた》きがそれである。しかし、土佐の叩きは、都会の美味い料理に通じない土地っ子が、やたらに名物として宣伝したので、私の目にはグロであり、下手《げて》ものである。焼きたての生暖かいのを出されては、なんとなく生臭《なまぐさ》い感じがして参ってしまう。しかし、土佐づくりは皮付きを手早く焼き、皮ごと食うところに意義があるのだろう。
元来、どんな魚類であっても、皮と肉の中間に美味層を有するものである。それゆえ、皮を剥ぎ、骨を去ってしまっては、魚の持ち味は半減する。物によっては、全減《ぜんげん》するとまでいっても過言《かごん》ではなかろう。それはもとよりかつおだけにかぎったことではない。たいのあら煮が美味《うま》いというのも、実は皮も骨もいっしょに煮られているからなのである。
昔は春先の初がつおを、やかましくいったが、今日では夏から秋にかけてのかつおが一番美味い。これは輸送、冷凍、冷蔵の便が発達したことによるものと思われる。大きさは五百|匁《もんめ》から一貫匁ぐらいまでを上々とする。
底本:「魯山人の食卓」グルメ文庫、角川春樹事務所
2004(平成16)年10月18日第1刷発行
2008(平成20)年4月18日第5刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
1993(平成5)年発行
初出:「朝日新聞」
1938(昭和13)年
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年12月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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