下がありその下には尚無数の手下がある。それ等は此洞穴と同じ様な隠れ場所が七つこの一帯の山脈中のかなたこなたにあるがそれに住んで居るのである。彼等はすべて青鞘の短刀を持つて居る。是は仲間だと云ふ印にもなるのである。彼等ははるか遠方の町々にまで下りて行つて殺人強奪を事として居る、彼等の殺人は強奪の為の手段ではなくして殺人の為の殺人である。是が野宮の恐るべき手段なのである。あゝ僕も実にその夜からこの宗教の信者となり終つた。翌日手下の一人はかの別荘の偵察をしたが別荘では豊子が矢張り野宮一団の手に殺害され僕もそれと同時に何処かへ連れ去られたか殺されたかにして居る。女中は泣く泣く豊子の死体と共に今朝山を下り麓の警察では大騒ぎをして居ると云ふ事をしらせた。それを聞いて僕は当時殆んど平然として居りむしろ鼻で笑つて居た。何と云ふ浅ましい事であつたらう。
 それから以後僕が如何なる所業をして居たかは好奇なる我画家よ、どうか僕を許して呉れ。僕は一々回想する苦痛に耐へないのである。
 風の如く飛び去つてしまふ事が出来た。
 かくして僕は以後五箇月山中にかゝる残忍至らざるなき生活をした。その間で僕は二十三人の男女を手づから殺害したのである。実に僕は不思議に殺人に対する才能をこの山に入りこの行者と共に生活する内に得てしまつたのであつた。かくて僕も遂に『殺人行者』となりすました。そして僕の一生はこの残忍なる快楽生活の内に盲目とならうとした。
 あゝしかし天は僕を救つた。今の此苦痛の海中を潜るが如き生活にしろ兎に角尋常の生活に僕を復して呉れた天に僕は感謝する。五箇月目の或雪の日僕は独り今は全然廃荘となつて鼠一つ住まぬかの山荘へ来た。そして妻を殺した場所に独り佇んだ。その時俄に発した全身痙攣の為に地上にひつくりかへつた僕は、そこの大きな岩で酷く頭を打つて一時気絶してしまつた。ふと眼が覚め痛む身体を押へつゝ立上つた。

(十一) 狂人か将酔漢か

 僕はほつと息をしつゝあたりを見まはした。其時僕は始めて覚めた。一切から覚醒した。野宮の恐る可き魔術の暗示は今頭を岩で酷く打つた拍子にその効果を失つたのであつた。僕は静に過去の悪行を考へた。第一に豊子の事を思ひ、涙はさめ/″\と凍れる我頬の上を伝つた。『許して呉れ。豊子。』と僕は叫んだ。二度も三度も大声で叫んだ。俺はわが妻を殺したのだ。何十人と云ふ罪なき生命をうばつたのだ。たとひそれが野宮の暗示に依つて行はれたとは云へ現在この自分の手からそれ等の人々の黒血はわが良心に向つて絶えざる叫びを上げるのである。僕は無自覚なりし以上五箇月の所業を自己意識を得て後悉く明かに回想し得るのである。是れ程残酷な事がまた世にあらうか。
 僕はそのまゝ痛む身体を以て麓まで下りた。けれど警察では僕の言を信じなかつた。僕は東京へ送り帰された。僕は極力自己の罪ある事を述べ立てたが誰も信ずる者はなかつた。僕の所業一切は彼野宮光太郎の所業として扱はれた。そして警察は僕が妻の死を悲しんだ余り精神錯乱せる者と見倣してしまつた。僕は遂に狂人にされてしまつた。
 以上がこの酔漢の物語りであつた。自分は聞き終つた時世の運命の残酷なる斯の如きものあるかと思つて慄然たらざるを得なかつた。翌朝目覚めたる彼は自分の留めるのもきかず無言のまゝで出て行つた。自分はあとを追つて外へ出て見るともう彼の姿は見えなかつた。自分の心は何となく暗くなつたのである。それから二日目の朝の新聞紙に彼の失踪広告が出て居た。自分はすぐ彼が自分の画室に宿つた事を知らせて遣つた。然るにその手紙も未だ着かざる可きその日の夕刊にて自分は彼哀れむ可き考古学者戸田元吉が佐竹廃園の丘上に他殺されその死体が発見された事を知つた。そして思はず自分の眼に手をやつた。数行の記述は次の如くであつた。『長さ約八寸青き柄の鋭利なる短刀心臓を見事に貫き其まゝに残しあり。』あゝかの恐る可き『殺人行者』の一味は未だ暗に活躍しつゝあるのである。


底本:「村山槐多全集」彌生書房
   1997(平成9)年3月10日増補2版発行
入力:小林徹
校正:高橋真也
1999年3月2日公開
2000年11月10日修正
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