右に動き左に動く。こゝから山までの距離に依つて考へて見るとそれは確に大きな提灯を人が振るのである。眺めて居る内に僕の連想はいつしかかの怪しき星の夢に来た。あの星だ。さうだ。あの赤い星にそつくりだ。尚じつと見て居るとその燈は輪状に或は上下に打振られる。その燈は何かの信号を伝へて居るのだ。僕の心は怪しくも打慄へた。段々見て居る内に僕は妙な気持になつて来た。忽ちはつとなつた。見よあの燈は明かに豊子を殺せと叫んで居る。『豊子。豊子。お前にはあの燈が見えるか。』と豊子に言ふと豊子は僕によりそつて暗をすかし見た。その刹那僕の懐中した手がさつと空を指したと思ふや否や水の様な悲鳴が僕の喉の下で起つた。
吾に帰れば驚ろくべきかな僕は最愛の妻豊子をかの青鞘の短刀で一撃の下に殺害した後であつた。短刀は見事に豊子の心臓を刺し貫いたので、僕の手は真赤な熱い血に濡れた。夜目にも白いその顔を上に向けてがつくりと地に横たはつて居る。僕は茫然としてしまつた。懐中電燈を拾ひ上げてつく/″\と豊子の顔を照らし見た時涙は眼中に満ちて来た。何故俺は豊子を殺したのであらう。遂に殺人者になつてしまつたかと云ふ事の外何を考へる余地もなかつた。力なく立上つて山の方を見つめるとかの怪しき信号の燈はもう消えて居た。ぽんと背中を打つ者がある。驚ろいて振りかへると、そこには黒装束をした者が盒燈を提げて立つて居た。『誰だ。』と僕が顫ふ声で叫んだ時人物は燈を高く差上げて自己の顔を照らして見せた。野宮光太郎の鋭い相貌が真青な光を帯びてそこに笑つて居た。
(十) 殺人行者の仲間入り
僕はその夜の内にかの山中の洞穴へ連れて行かれた。今から考へて見ると僕の真の意識はかの野宮に始めて会ひ人事不省に落ちた時以来野宮の恐る可き催眠術の為に何処かへ隠れてしまつて居たのであつた。実に浅ましい事には僕は妻を殺害した事に就て或感動は受けたが、何の悔恨の情も起らなかつた。
『さあもう俺は君を君の妻君の手から奪ひとつたのだ。是から君はこの洞穴に住まはなければならないのだ。』野宮が言つた時僕はもう此うなれば仕方がない。俺は野宮の云ふ通りにならうと決心してしまつた。そして野宮に是から永久に離れまいと答へると彼は満足げに微笑した。そして二人は酒を飲み再び兄弟の約束を誓つた。野宮はすつかり彼が首領たる賊団の秘密を語つた。それに依ると彼には十人の秀でた手
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