易ならぬ悪運命の底を経て来た人間である事を見てとつた。そして非常に興味を持つて来た。『まあ君飲み給へ。』と杯を差せば男の恐ろしい容貌には或優し味が浮び、たゞ一息に呑み乾した。そしてじつと自分を見守つたが『ね君。俺は狂人ぢやあ無いんだ。決して決してさうではないんだ。』と言つたその眼には涙がにじんだ。その刹那自分はこの酔漢が溜らなく哀れになつて来た。抱きしめてつく/″\泣きたい様な気持になつて来て『さうとも、君が狂人な物かB』と叫んだ。徳利を更へる時分には自分はこの男を今夜わが家に連れ帰る事に決心してしまつた。『ねえ君。僕のうちへ行つてまた飲まうぢやないか、え、僕は独りぽつちなんだ。淋しくて溜らないんだ。君来て呉れるね。君。』すると此男はしばらくぼんやりした大きな眼で自分を見たが強くうなづいた。自分はすぐ二人で此居酒屋を出た。この男を扶けながら電車通りまで出ると、もう十一時であつた。リキユールを一本買ひ電車に乗りやがて自分の画室に帰り着いた。這入るなり彼は『お前は好い絵描だねえ。』と叫んで自分の首を抱いて頬を吸つた。ストーブを燃やしリキユールの杯を前にした時、彼は如何にも酔ひ果てて居た。その眼は何処か物哀しく何処か優しく何処か恐ろしく輝いた。そして自分に杯を差しながら『君はきつと聞いて呉れる、わかつて呉れる。お前にだけ話すのだからきいて呉れ。俺の愚痴を聞いて遣つて呉れ。』と言ひながら長々しいその経歴を物語つた時自分はこの男の正体の余りにも奇怪なのに戦慄した。以下はその物語であり文中『僕』としたのは彼自身の事である。

(二) 考古学者と伯爵令嬢

 僕は名を戸田元吉と云ふ一考古学者である、と云へば却々偉さうに聞こえるが実はほんの道楽者である。と云ふのが僕の家は可成りの資産家で次男に生れた僕にも一生の生活には決して困らない丈けの分前がある所から大学を出は出たが、何一つ学んだ所なく出てからも何一つ是と云ふ仕事もしないで遊んで居るのである。しかしとに角職業に選んだ丈けに考古学や歴史には随分熱心であり小さな研究は絶えず遣りそれが為一年の三分の二は旅行に費やした。大学を出て二年目に僕は或伯爵の娘を妻に貰つた。この妻の豊子は少年時代からの知合で僕の世界中で最も好きな女であつた。僕は豊子の事を語り出づる時激しい苦痛なしでは居られない。此最愛の女を僕の此手が殺してしまつたのではないか、
前へ 次へ
全14ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
村山 槐多 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング