なくぼんやりし直ぐ眠たくなる。その癖発陽性が著しくなり、見る物聞く物皆面白い。嬉しくて手先が独りで躍り出す。頗る突飛な幻想が絶えまなく頭を襲ふ、僕は我知らず大声で唄つたり別荘の周囲を子供の様に馳け廻つたりした。豊子もすこし驚いたが彼女が元来活溌な性質なのでかへつて悦こんだ。僕はまた豊子に対する愛着が激しくなり毎日々々彼女と共に別荘近くを散歩しては花を摘んだり小鳥を撃つたりした。家へ帰ると一所に酒壜を傾けて飲んだ。こゝは高地であるから夏とは言ひながら春の様な気候である。僕はこの快さが無暗に好きになつた。そして目前にある危険がせまりさうなのをよく悟りながらこの山中を去らうとしないのであつた。こゝに一つの不思議なことがあつた。それはそれからと云ふ物僕が殆んど毎夜同じ夢を見る事である。その夢と云ふのは斯うである。僕は一人或山頂に立つて居る、右と左とに大きな谷がある。右の谷底には実に美麗な都会がぴか/\輝いて居る。然るに左の谷底は大きな湖水になつて居る。よく見るとそれは血の湖水だ。また空を仰げば真紅の星が一箇魔女の眸ざしの如く明かに澄み輝いて居るのである。自分は唯ぼんやり腕組してたゝずんで居る。是だけの事である。その夢を毎夜きつと見るのである。しかしいつもの自分ならそれを変だと感じもしようが妙ちきりんな状態にある僕はそんな事は格別気にも掛けないで矢張りのらりくらりと絶えず落着かず、少し本を読んだかと思ふとすぐ煙草を眩ひする程吹かす、画を描くかと思ふと鉄亜鈴をいぢる、その内に眠る、すぐ醒める、殆んど狂噪の状態であつた。かゝる状態にあると云ふ事は自分によくわかつて居るのである。しかもそれを好んで遺る様な二重の精神状態になつて居るのであつた。
 こんな有様で四日は過ぎた。五日目の朝になると僕は激しく四日前山中で会つた事物を思ひ出した。そして何とも言ひ難い恐怖に打たれた。『この山荘に居ては必ず何か危険があるのだ。第五の夜半にはつまり今夜にはまたお前は野宮と顔を合はせなければならぬのだ。だから早く今日の内に山を下りてしまへ。一刻も早く早く。』と内心の声が僕を叱咤する、その癖僕は相不変のらくらとその日を送つてしまつた。その日妻は殊の外打沈んで居たがじつと自分の顔を見つめては、『貴方どうかなさりはしなくつて。眼が妙に血走つてゝよ。』と云ふのである。豊子は余り僕の調子が異常なのですこし心配し
前へ 次へ
全14ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
村山 槐多 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング