? 偽りをいうような人かどうか? ということだけは自慢ではないが一目でわかるつもりだと、しまいには笑い話になりましたが、行き届いた人とみえて、親御《おやご》さんが心配されているといけぬから、手紙をお書きなさい、わたしが明日|小浜《おばま》から出しておいて上げましょうということですから、この父親に手紙を頼んでおくことにしました。
 さて、父親も翌る日出かけて、私はジーナやスパセニアとまたどんなに楽しい日々を過ごしたことでしょうか? 先生、貴方に同じようなことばかり並べ立てていても、仕方がありませんから略しますが、例の岬へも足を向ければ、湖水へもまた何度かいってみました。ジーナとスパセニアと馬を並べて、静かな湖の回りを散歩したり、豪宕《ごうとう》な天草灘《あまくさなだ》の怒濤《どとう》を脚下に見下《みおろ》して、高原の夏草の間を、思う存分に馬を走らせたり……学校はまだ休暇ではないのです。ほんの十日ばかりのつもりで出かけて来た旅が、こんなにも遊び過ごしてしまって、早く帰らなければならぬならぬと心では、絶えず思いながらもつい一日のばし二日のばして、勧められるままにウカウカと、それからまた五、六日ばかりを、夢のように暮してしまいました。
 私はこの話の初めの方で、この家《うち》はまるで千一夜物語《アラビヤン・ナイト》の中の、迷路に呼び込まれた荷担《にかつ》ぎのような気がすると、申上げたような気がします。こうして遊んでいるうちに、そういう夢幻感は消え失《う》せてしまいましたが、その代り今度襲うてきたのは日本の昔話にある、浦島太郎の物語でした。昔、浦島太郎は助けた亀に乗って、竜宮城へいって乙姫《おとひめ》様に歓待されるまま、そこで何日かを遊び暮して元の浜へ帰って来た時には、白髪《しらが》の翁《おきな》になっていたといいますが、今の私の場合にも、何かそんな気がしてならないのです。しかも、そういう気がする一方、もしそうならそれでも仕方がないと、度胸を決めていました。ともかく、日一日と私はこの二人に惹《ひ》き付けられて――二人というよりも、この二人の住んでいる世界にといった方がいいかも知れません。その世界の中に溶けこんでしまって、どうしても一思いにここを離れ去ることができなくなってしまったのです。
 馬丁《べっとう》の福次郎や水番の六蔵や農夫たちが、二日おき三日おきに大野木へいった時に、取って来てくれますから三日遅れの新聞もあれば雑誌もありますが、そんな新聞雑誌に眼を通すでもなければ、ラジオや映画があるでもなく、近代感覚なぞというものは凡《およ》そ薬にしたくもない、こんな無刺戟《むしげき》な単調な山の中で、何が面白くてそう長く遊んでいられるのか? と、先生、貴方《あなた》はお考えになるかも知れませんが、それがそうではないのです。
 ここにいる限り、その日その日が夢のように楽しくて、まるで薔薇《ばら》の花弁《はなびら》の中ででも眠っているような気がするのです。西洋の小説に、薔薇の花弁に包まれているような気がするとよく書いてありますがまったくそういう気がして、二人と一緒にいる限り毎日毎日がこの上もなく楽しいのです。しかもそれでいて、別段私はスパセニアの隙《すき》を見て、ジーナと二人切りになる機会ばかり、窺《うかが》っていたというのでもありません。打ち明けていえば初めはいくらか、それも私の心の中にありましたが、二人と親しんでくるに従って一体私という人間は、どっちがほんとうに好きなのだか、自分にもほんとうの自分の気持が、わからなくなってきたのです。なるほどあの時はスパセニアに楽しい夢を破られたような気がしたのは、事実です。が、日が過ぎるにつれて、優しくて濃艶《のうえん》な姉もいいけれど……もちろん堪《たま》らなく魅惑的ですけれど、勝気で気品の高い妹の眸鼻《めはな》立ちの清らかさにも、たとえようなく心が惹《ひ》かれてくるのです。
 結局、正直なところどっちがほんとうに好きなのだか、私にも見当がつかなくなってしまいました。ですから、もし、強《し》いて無理に決めろといわれれは、欲ばっているようですけれど――先生、貴方は困った男だとお思いになるかも知れませんけれど、二人とも! と答えずにはいられなくなってくるのです。
 朝早くジーナが、栗毛のプルーストを飛ばせて大野木まで、買い物にいったことがありました。その時私は二階の部屋で、友達へ出す手紙を書いていました。お邪魔じゃありません? と声をかけて、スパセニアが切ったばかりのカーネーションやアイリスや、薔薇の花なぞを持って上がって来たのです。枕許《まくらもと》の花瓶に生けて、壁や柱の花筒《はなづつ》に挿《さ》して、
「ここから眺《なが》めると、海が広くて、気持が晴れ晴れするでしょう?」
 と縁側に佇《たたず》んで、
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