でもかでも子供みたいにおせっかいを焼いて、つくづくひとり息子なぞに生まれるものではない! と、先《せん》から感じていたのです。
 何の事件も起っていない今日までですらそれですから、九州のこうこういうところで知り合った混血児《あいのこ》の娘と、結婚したいなぞといい出したら、母なぞはびっくりして、眼を回してしまうかも知れません。その驚き顔が、今から眼の前に散らついてくるようです。しかし、どうしても結婚させてくれと私が頑張れば、結局は折れて私のいうことを容《い》れてくれるに違いありますまい。ただその承知させるまでが、大変です。
 死ぬとか生きるとか、かなり狂言も、して見せなければなりますまい。そして結局は容れてくれるとしても、今私は大学の三年ですから、後《あと》一年たって卒業したら、期限つきで許してくれるかも知れません。それとも、もう二、三年たって、インターンも済んで、一人前の医者になるまで待て! といい出すものでしょうか? そんなことばっかり思いめぐらしながら、黙々として道を歩いていたような気がします。
 そして、そんなことばっかり考えながら歩いている私にとって、やがて水門に佇《たたず》んで眼の前に展開されてきた、眼も遥《はる》かな混凝土《コンクリート》の溝渠《インクライン》は、興味でも何でもありませんでした……といいたいところですが、実際はこれもまた、大変な驚きだったのです。ジーナも恋も忘れて、私は眼をみはらずにはいられませんでした。なんというこれもまた、壮大きわまりない設備だったでしょう。なるほど二人の姉妹《きょうだい》が、私に見せたがったのも無理はありません。
 これこそ父親が、大野木村にある開墾地へ水を送るため、すべての施設に先立ってまず第一に、手をつけたものに違いありません。これだけはもう立派に完成しているのです。
 幅二間ばかり、側面が二尺ばかりも高く盛り上がった、厚い混凝土《コンクリート》の溝渠《インクライン》が、二十五度ぐらいの傾斜を帯びて、眼路《めじ》も遥かに霞《かす》んで、蜿蜒《えんえん》とうねうねとして、四里先の大野木村まで続いていると聞いては、ただその規模の雄大さに嘆声を発せずにはいられません。
 さすがに子供の時から異郷に彷徨《さすら》って、自分を助けてくれた恩人を、国内一の銅山王に仕立て上げたような人は、すること為《な》すこと考えていることやっぱり、日本人離れのした肝の大きなものだな! とつくづく舌を捲《ま》かずにはいられなかったのです。
 大野木村の入口には大きな池が掘ってあって、そこへこの溝渠《インクライン》の水は流れ込んで、そこから幾つかの小川に分れて、開墾地を灌漑《かんがい》してるというのですが、その途中にも二里くらいのところに、かなりの混凝土《コンクリート》の池がもう一つ設けられて、矢のように下《くだ》っていった舟はそこへ水煙立てて滑り落ちる、涼味スリル万斛《ばんこく》のウォーターシュートの娯楽施設を、兼ねているというのです。もちろん、ホテルの客の娯楽を目的としたものに違いありません。
「あすこに建ってるでしょう? 石造りの小屋が……」
 なるほど、物置小屋の二倍くらいの建物が、水辺《みずべ》に建っています。
「あれが、自家発電所になってますの。あすこで、電気を起して水門の調節をしたり、家《うち》へ電気も点《つ》くように、なってるんですけれど、戦争中からやってませんの。じゃ、今、爺《じい》やに捲き揚げさせますわね……あ、何か板切れでも、あるといいんだけれど……」
「嬢さま、これじゃ、どげんもんじゃろうかね?」
 それが六蔵でしょう、私に目礼しながら六十ぐらいの頑丈そうなオヤジが、大きな板切れを出しました。
「じゃそれをうかべて頂戴《ちょうだい》! 流すんだから」
「ようごぜえますか? じゃ、水を、出しますだよ……よっこらしょと! ――」
 と、六蔵の手が捲き揚げ機へかかって、ガラガラと重い水門の扉が、少しずつ開き始めます。ヒタヒタと、やがてチョロチョロと……次第次第に水嵩《みずかさ》を増して、やがて板切れは矢のように、流れ出しました。
「ほうら、速いでしょう? あんなに速く……もっともっと水が増すと、ボートや板に乗って、ちょうど、あのくらいの速さで、下るんですのよ。……ね、ほらほら、あんなに速くなるでしょう……?」
 手を叩《たた》いてスパセニアがハシャイでいるとおり、なるほどこのスリルと爽快味《そうかいみ》だけは、見たこともない人には、到底想像も及ばぬでしょう? 次第次第に水嵩と速度を増して、板切れは視界の向うに、見えなくなってしまいました。
「あの速さで四里|下《くだ》って、大野木の池まで行けば、どんな暑い日でも寒けがするくらい、涼しくなりますわよ。ね、暑い日が来るまで、遊んでらっしゃいよ
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