るような、それでいて好奇心が胸一杯にはびこって、眼が冴《さ》えてくるような、何ともいえぬ妙な気持がしてくるのです。
 母親らしい人の姿は、ちっとも見当らぬけれど、なぜここの家には母親がいないのだろうか? そしてそれよりも、こんな人里離れた山沿いの淋《さび》しい海岸に、なぜこんな家だけが、ポツンと建っているのだろうか? 立派な父親と、綺麗《きれい》な娘たちだけが住んでいて……なぞと取り留めもないことを思いうかべているうちに、そよそよした風に誘われていつかグッスリと、眠り込んでしまいました。

      三

 やっぱりくたびれ切っていたのでしょう? ほんの一時間か二時間、微睡むつもりでいたのに、私が眼を醒《さ》ました時はもう夕方とみえて、天井には電気が、……さすがに電気はないとみえて、これも故国《くに》の習慣なのかも知れません、部屋の隅には金の燭台《しょくだい》に大きな西洋|蝋燭《ろうそく》が、二つも朦朧《もうろう》と照らしているのです。
 見知らぬ異国へでも、彷徨《さまよ》い込んだような気持がして、寝呆《ねぼ》け眼《まなこ》でぼんやりと、焔《ほのお》を瞶《みつ》めているうちに、ハッとして私は跳ね起きました。いけん、ここは知り合いの家《うち》ではない! と、気が付いたのです。いつの間にか硝子《ガラス》戸も閉ざされたとみえて、模糊《もこ》と漂っている春の夕暮れの中に、さっきまでの明るい紺青《こんじょう》の海ももうまったくの、ドス黝《ぐろ》さに変っているのです。
 もう間もなく、夜の帳《とばり》も降りるでしょう。暮れるに間のないこの夕暮れ眼がけて、この見知らぬ高原へ飛び出す勇気はありません。慌てて階下へ飛んで降りて、ちょうど勝手口から出て来た、姉か妹かわかりませんが出逢《であ》い頭《がしら》の娘に、私はペコペコと頭を下げて、眠り過ぎてしまった不覚を謝りました。
 そして、暮れかかるところを眼がけて飛び出すのは、どうにもヤリキレヌから厚顔《あつかま》しい願いだけれど、もう一晩だけ泊めて欲しい、その代りさっきのような、あんな立派な部屋でなくても結構だから……納屋《なや》の隅でも、かまいませんからと、本音を出して頼んだのです。
「オホホホホホホホ」
 と娘は面白そうに、笑い出しました。
「そんなに仰《おっ》しゃらなくても、いいんですのよ、……そうですとも、こんなに暗くなってからお出かけになんか、なれやしませんわ。そんなところに立ってらっしゃらないで、こっちへいらっしゃい!」
 さっきの食堂にも蝋燭が点《とも》っていれば、その隣にも、また隣にも、間ごと間ごとに蝋燭が瞬《またた》いて、殊《こと》に暖炉のある居間には、壁にも蝋燭が点《つ》いていれば、卓子《テーブル》の上にも、丈《たけ》高い燭台に三本も点って、電気と違《たが》わぬ明るさです。闇《くらがり》で私の謝った娘は、姉の方だったのです。
 妹娘は安楽|椅子《いす》にからだを埋《うず》めて、明るい燭台の下で厚い洋書らしいものを、読んでいました。きまり悪げに頭を掻《か》いている私を見ると、
「よく眠ってらっしゃいましたわね」
 と笑いながら、顔をあげました。
「さっき、お起しして差上げようかって、……いいえ、灯《あかり》を点けに行く前に……ジーナに相談したら、よくおやすみになってらっしゃるんなら、お起ししない方がいいわっていってましたの。……わたし、戸を閉めに上がったの、御存知ないでしょう?」
 ジーナというのは、姉娘の名前でした。私は頭を掻《か》きながら、赧《あか》くなりました。
「ジーナが仕度してますから、お食事、もうちょっと待って下さいね……わたしたち、一日交替で食事|拵《ごしら》えしてますのよ」
 と娘は、にっこりしました。
「お父様は?」
 と聞いてみたら、
「昼からお山よ! 馬でいきましたの。貴方《あなた》が越えておいでになった周防山《すおうやま》の、もう少し右手寄りに、禿山《はげやま》があるの、御存知? 今日はそこへいきましたの。その山からマンガンが出るんですって! とても良質のマンガンが出るんですって……パパは鉱山技師よ」
 父親は男ですから、こんな無人の高原を何とも思わないかも知れませんが、さて耳を澄ませたこの夜の静けさというものは、ないのです。あちらこちらで梟《ふくろう》がホーホーと啼《な》いて、夜の七時といえば都会では、まだほんの宵《よい》の口です。銀座なぞは人で、さぞ雑踏しているでしょう。
 が、この無人の高原地帯では、万籟《ばんらい》寂として天地あらゆるものが、声を呑《の》んで深い眠りに落ちているのです。私の越えて来た山でも野でも、もう夜の獣《けだもの》たちが暗《やみ》に紛《まぎ》れて、ムクムクと頭をもたげている頃でしょう。若い娘二人で、よくこんなところに住んでられ
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