》まって尾を振っています。そして、スパセニアの姿が見えぬと思ったら、馬術の名手といわれる彼女は今馬を煽《あお》って、動き出した乗合《バス》の後からまっしぐらに、追って来るところです。
 乗合《バス》が速さを増すと、同時にスパセニアの馬も、砂塵《さじん》を蹴《け》たてて追って来ます。私の車と摺《す》れ摺《す》れに駈《か》けながら、片手を伸ばして車の窓|硝子《ガラス》を叩《たた》いているのです。やっと窓をあけると投げこんだのは、いつも胸につけている大きな銀の|襟飾り《ブローチ》です。髪をなびかせながら大声に何か、叫んでるようでしたがそれはもう、聞こえません。車は急に、速力《スピード》を増してきました。さすがにスパセニアの姿も、見る見る遠ざかって、それでもまだ必死に馬を飛ばせながら、鞭《むち》を持った手を狂気のようにふっています。それに答えているうちに、車はカーブを切って石礫《いしころ》だらけの山角《やまかど》を曲って、到頭姿は見えなくなってしまいました。
 私は|襟飾り《ブローチ》を拾い上げて、やっと座席に座り直しましたが、これが二人との別れだったのです。眼を閉じると今でも手をふって、別れを惜しんでいたジーナの姿が、ありありとうかんできます。馬上に身を伏せて、必死に手綱を絞っているスパセニアの姿も、ありありとうかんでくるのです。しかもその時私は、この別れがこんな凄《すさ》まじい結果を齎《もたら》そうなどとは、夢にも思ってはいませんでした……。

      八

 東京へ帰ってからも、どんなにこの姉妹《きょうだい》の俤《おもかげ》が、眼の前に躍って離れなかったか知れません。うかうかと、大分遊び暮してしまいましたから、帰って来れば、スグ学校へ出なければなりませんし、友達からノートを借りて遅れていた講義の整理もしなければならず、一週間十日は、眼の回るような忙しさでした。
 が、その忙しい間も、あるいは従妹《いとこ》たちが遊びに来て家中で食事している時も、一緒に笑いもすれば、また従妹が何か聞けば、受け答えもしていましたが、心の中では寸時も忘れずジーナとスパセニアの俤を偲《しの》んでいたのです。
 父も母もハッキリと、口へ出したわけではありませんから、あるいはこれは私だけの思い過ごしかも知れませんけれど、父母は行く行くはこの従妹を、私と結婚させるつもりでいたのではないかと思われました。どうもそういう様子が仄見《ほのみ》えるのです。
 そして私も、別段この従妹が嫌いというのではありません。今までは綺麗《きれい》だなと思ってもいましたが、それは、九州へ出かけるまでの話であって、あの二人に逢《あ》った後は、まったく事情が異なってきたのです。
 この従妹なんぞ、あの二人に較《くら》べれば月と鼈《すっぽん》ほどの違いです。私には、上手に女の比較なぞはできませんが、姉のジーナは靨《えくぼ》を刻んでパッと眼が醒《さ》めるように艶麗《えんれい》ですし、スパセニアは大空の星でも眺《なが》めるように、近寄り難い気品を漂わせて、ほんとうの美人というのは、こういうのを指すのだろうかという気がします。二人とも卵を剥《む》いたようなすべすべの皮膚をして、どんな点を較べてみても、こんな従妹なんぞ問題ではないのです。そして変なことをいうようですが、ジーナの前へ出ても、スパセニアと話していても、私は堪え難い情欲に悩まされました。しかも悩まされながらその情欲が、また何ともいおうようなく生き甲斐《がい》というか、充実した人生というようなものを、私の胸一杯に感じさせていたのです。が、こんな従妹となぞ、小半日鼻突き合わせていても、そうしたものの片鱗《へんりん》さえも感じはしないのです。私はまったくもう、あの二人に捉《とら》われ切っていました。
 ともかく夏休みになったら、夏休みになったらと、半月後に来る夏休暇を、どのくらい待ち焦がれたか知れませんでしたが、困ったことに休暇に入る四、五日前から、身体の具合が思わしくなくて、到頭寝込んでしまいました。
 以前に患った肋膜《ろくまく》の再発だと、医者はいうのですが、ただ再発だけなら、親もそれほどは驚かなかったかも知れません。が、左肺がかなり進行しているから、絶対安静にしろ! といわれて、レントゲンだ、ほら血沈だと、母なぞは今にも死ぬような心配をしているのです。
 暑い間は、伊東の別荘で寝て暮すことにして、行くのにも自動車を徐行させて、牛の這《は》うようにノロノロと……車中で寝ていられるように、扇風機を取り付けたり、氷柱を入れさせたり、引っ繰り返るような騒ぎを演じているのです。その親心を、有難いと思わぬではありませんが、こんな病気くらい、一思いに九州へ飛んでいって、ジーナやスパセニアと馬の二、三回も走らせれば、スグ癒《なお》ってしまうのに
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