、取って来てくれますから三日遅れの新聞もあれば雑誌もありますが、そんな新聞雑誌に眼を通すでもなければ、ラジオや映画があるでもなく、近代感覚なぞというものは凡《およ》そ薬にしたくもない、こんな無刺戟《むしげき》な単調な山の中で、何が面白くてそう長く遊んでいられるのか? と、先生、貴方《あなた》はお考えになるかも知れませんが、それがそうではないのです。
 ここにいる限り、その日その日が夢のように楽しくて、まるで薔薇《ばら》の花弁《はなびら》の中ででも眠っているような気がするのです。西洋の小説に、薔薇の花弁に包まれているような気がするとよく書いてありますがまったくそういう気がして、二人と一緒にいる限り毎日毎日がこの上もなく楽しいのです。しかもそれでいて、別段私はスパセニアの隙《すき》を見て、ジーナと二人切りになる機会ばかり、窺《うかが》っていたというのでもありません。打ち明けていえば初めはいくらか、それも私の心の中にありましたが、二人と親しんでくるに従って一体私という人間は、どっちがほんとうに好きなのだか、自分にもほんとうの自分の気持が、わからなくなってきたのです。なるほどあの時はスパセニアに楽しい夢を破られたような気がしたのは、事実です。が、日が過ぎるにつれて、優しくて濃艶《のうえん》な姉もいいけれど……もちろん堪《たま》らなく魅惑的ですけれど、勝気で気品の高い妹の眸鼻《めはな》立ちの清らかさにも、たとえようなく心が惹《ひ》かれてくるのです。
 結局、正直なところどっちがほんとうに好きなのだか、私にも見当がつかなくなってしまいました。ですから、もし、強《し》いて無理に決めろといわれれは、欲ばっているようですけれど――先生、貴方は困った男だとお思いになるかも知れませんけれど、二人とも! と答えずにはいられなくなってくるのです。
 朝早くジーナが、栗毛のプルーストを飛ばせて大野木まで、買い物にいったことがありました。その時私は二階の部屋で、友達へ出す手紙を書いていました。お邪魔じゃありません? と声をかけて、スパセニアが切ったばかりのカーネーションやアイリスや、薔薇の花なぞを持って上がって来たのです。枕許《まくらもと》の花瓶に生けて、壁や柱の花筒《はなづつ》に挿《さ》して、
「ここから眺《なが》めると、海が広くて、気持が晴れ晴れするでしょう?」
 と縁側に佇《たたず》んで、
前へ 次へ
全100ページ中44ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
橘 外男 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング