言葉が口に出てこなくて、この瞬間ほど私は、彼女を抱いてその孤独な魂を慰めてやりたいと、思ったことはありませんでした。が、いくら同情しても、私のような学生の身の上では、どうすることもできぬ、相手の境遇です。いわんや、何度もいうとおり、運命に翻弄《ほんろう》されているとはいえ、決して彼女は現在貧乏な身の上ではありません。
「面白くもない話……おイヤだったでしょう?」
「お気の毒だと、思っています……何といったらいいかと、さっきから僕は考えていたところです」
運命の打開を図って、今も山へ行っている父親のことでも彼女は、思いうかべているかも知れません。湖の向う側の、林の上に聳《そび》えている赭《あか》ちゃけた禿山《はげやま》に、じいっと彼女は、眼を留めているようです。長い睫毛《まつげ》の先が、濡《ぬ》れたようにそよいで、象牙《ぞうげ》彫りのようにキメのこまかな横顔……キラキラとした、亜麻色の髪……しかも、膝と膝が触れ合って、彼女の身体を流れている温かい血が、脈管へも皮膚へも、息苦しく伝わってきます。夢のように、しいんとした何分かが過ぎ去って、私はハッとして、手を引っ込めました。さっきから、もう、何度彼女の手に触れようとして、背《せな》へ手を回そうとして、そのたんびに胸を轟《とどろ》かせていたか、知れないのです。そしてこの時ほど私はスパセニアが帰って来なければいいと、思ったことはありません。
からだ中が燃えるようにかっかとして、顔が火照《ほて》って頭が茫《ぼう》っとして、こうしていても躍り出したくなる無性に楽しいような気がしてきますけれど、それでいて彼女と膝が触れ合っていることが、また堪えられなく全身をムズ痒《がゆ》くさせてくるような……この時ほどスパセニアが帰って来てくれなければいいと、肚《はら》の中で思っていたことはないのです。
「お差し支えなかったら……もっと、遊んでらっしゃいません? こんな山の中ですから、面白いことなんぞ何にもありませんけれど……」
艶《あで》やかな眸《め》が、にっこりとのぞきこんできます。
「スパセニアも、とても喜んでますし……パパも喜んでますのよ。ね、およろしいでしょう? もっと遊んでいって下さいません?」
「僕は……僕は……かまいませんけれど……でも……そんなに遊んでて、お宅に御迷惑じゃないでしょうか……?」喉《のど》が掠《かす》れて、他
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