たくしは女学部へ。故国《くに》では英語は一切使いませんけれど、仏蘭西語は子供の時から習ってましたから、この学校が都合がよろしかったのです。
 そして二年ばかりは、ほんとうに楽しく暮していましたでしょう……家も大きいし、女中たちも大勢いましたし……自家用車もありましたし……初めは言葉がちゃんぽんになって日本の友達たちに笑われていましたけれど、そのうち日本語も困らぬようになりました。
 ……今思えば、その頃にユーゴへ帰ってしまえば、こんな苦しい目にも遭わなかったのかも知れませんけれど。でもまさかこんなに早く、戦争になろうとは夢にも思いませんでしたし……」
 とジーナは、淋《さび》しそうな眼をしているのです。
「そして、平戸のお祖父《じい》さんお祖母《ばあ》さんに、逢わなかったんですか?」
 と聞いてみましたら、
「もうみんな亡くなって……ただ叔父と叔母だけが住んでたそうですけれど……面白くないことがあったとみえて、父は愚痴っぽいことはいいませんけれど、お金だけ上げて、さっさと帰って来てしまいましたの。
 お前たちを、食い物にするような人たちだから、決して近づいてはいけないって……お前たちの頼る人は、やっぱりユーゴのお祖父様や、叔父様叔母様のほかにはないって、いいましたの」
 と、もっともっと、淋しそうな顔をしているのです。
「もともと父は、帰りっ切りに日本へ帰るつもりはなかったのです。せっかく帰って来たのだから、三、四年くらいいてまたユーゴへ戻ろうって! ……そして二、三年おきにユーゴと日本をいったり来たりするつもりでいましたの。ですから初めはこの家もこんなところへ住むつもりではなくて、ホテルを作るのに、父が出入りに不自由なもんですから、ほんの夏場の別荘のつもりで、建てただけなんですの。温泉が湧《わ》くものですから、やがてユーゴへ帰ったら、また祖父をつれて遊びに来るつもりで……」
「ほうここに、温泉が湧くんですか?」
「お気づきになりませんでして……?」
 とジーナがおかしそうにほほえみました。
「昨日お入りになったの、あれ、温泉ですのよ」
 いわれてみれば、私にも思い当るところがあります。西洋人やあちら帰りの人の風呂《ふろ》といえば、日本人の大嫌いな西洋風呂なのですが、ここの家の風呂だけはゆったりと大きくて、窓の色|硝子《ガラス》や広い洗い場や、おまけにタイルの浴槽《
前へ 次へ
全100ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
橘 外男 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング