上くだくだしくいわずとも、この物語がこの病青年から出たものであるということは、読者にもおわかりになったであろうと思われる。病人が亡くなったのは、その時訪ねて三日ばかり間を置いて、もう一度訪ねてから都合二回の私の訪問の後、おそらく一週間か、十日目くらいではなかったかと思われる。
 今でも眼を閉じると、持っていった薔薇《ばら》を喜んで花瓶に挿《さ》して、その日薔薇の花弁《はなびら》より、もっともっと青白い顔で天井を瞶《みつ》めながら、喘《あえ》ぎ、ポツリポツリ、話していたあの時の姿が、眼に見えるような気がする。では、青年の話へ移ることにしよう。
 ただし、物語の性質が性質だけに、現住の人々に迷惑をかけてはいけぬから、土地の概念だけは適当に私が変化しておくことにする。その辺に無理が起るといけぬから、あらかじめ御諒承《ごりょうしょう》を願っておこう。

      一

「私がそこへいったのは、ちょうど医学部の三年になったばかりの頃……二十二の時でしたから、今から三年ばかり前……まだ身体が丈夫で、元気一杯の時だったのです」
 と壮健《たっしゃ》だった時分を愛《いと》おしむような調子で、病人は語り出した。何度もいうとおり、声が掠《かす》れて低く、時々|痰《たん》が絡んでぜいぜいと苦しそうに喘ぐのであったから、聞いているのも容易ではなかったが、面倒臭いからそういう病気の描写は、一切抜きにしよう。
「出かけていったのは、雲仙《うんぜん》です。詳しくいうと、長崎県の南高来《みなみたかき》郡ということになりますが、別段友達がいたわけでもなければ、用事があったわけでもありません。
 雲仙国立公園のパンフレットなぞを見ているうちに、子供の頃から山が好きなものですから、無性とあの辺の山へ登ってみたくなって……ちょうど学校が休み続きなもんですから、一人でブラッと出かけていったのです。……宮部さん、そこに地図がある。ちょっと取って下さい。そう……その次の抽斗《ひきだし》に……」
 と、看護婦の差し出した参謀本部の十万分の一の地図を、私の前にひろげさせた。
「もう今では、その時の記念は全部処分してしまって、何にも残っていませんが……」
 病人にとっては、懐かしい思い出の地図なのであろう、が、使用した後でもしょっちゅう眺《なが》めていたと見えて、紙は皺《しわ》くちゃになって、おまけに手摺《てず》れ
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