しょうか? 二、三日前にも、薄闇《うすぐら》くなってから門の前に立って、じろじろお邸の中を、覗き込んでたそうでございますがね。……またその女が覗いてるとかって……みんなで、騒いでるんでございますよ」
「……へえ! フウン」
 と頷《うなず》きましたが、別段私の心を打つ何ものでもありません。
「とても綺麗《きれい》な、混血児《あいのこ》のお嬢さんですとか……」
「何? 混血児?」
 途端に私は椅子《いす》を蹴《け》って躍り上がりました。いつかのジーナを、思い出したのです。
 ジーナが来ている……私に逢《あ》いたくて、泣いている! テラスを飛び降りて、奥庭の柴折《しお》り戸《ど》を突っ切って、どこをどうして門の砂利道まで躍り出たか覚えがありません。夢中で飛び出して、門の柱に身を寄せた女と眼が合った途端、おう! スパセニアだ! と私は大声を上げました。ジーナではありません、スパセニアだったのです。
 しかもそのスパセニアが、私の姿を見ながら、確かに私と真正面《まとも》に顔を合わせながら、懐かしむどころか! 涼しい眸《ひとみ》に、憤りとも怨《うら》みとも付かぬ非難の色をうかべて、涙ぐみながら唇を噛《か》み締めて、じっと睨《にら》み付けているのです。
「スパセニア、スパセニア!」
 と私は門前へ躍り出しました。が、不思議にも! その時はもうスパセニアの姿は、掻《か》き消すように、見えなくなってしまったのです。
「スパセニア! スパセニア!」
 と狂気のように私は、右手の坂を駈け降りて見、また左手の坂を駈け降りて見……私の家は、三番丁と五番丁と両方の坂の上に建っている、高台です。が、何としてもスパセニアの姿は、見当りません。ただ、ひたひたと濃い黄昏《たそがれ》ばかりがあたり一面に垂れ込めてくるばかりでした。
 が、今一瞬の間に顔を合わせたスパセニアの映像だけは、網膜深く刳《えぐ》り付いて、忘れようとしても忘れられるものではありません。上品な黒のアストラカンの外套《がいとう》を恰好《かっこう》よく着こなした、スッキリとした姿! 屹《き》っと見据えていた切れ長な眸許《めもと》……口惜《くや》しそうに涙ぐみながら、睨《にら》み付けていた姿!
 なぜスパセニアは、私を睨んでいたのだろうか? 何を私は、スパセニアに怨まれるようなことを、したというのだろうか? ともかくジーナもスパセニアも
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