……怨霊の祟《たた》りが、祖先から伝わる因縁の然《しか》らしめるところであろうと、判断しているこの私の考えを裏付けるごとくに、本年一月十九日、事件も落着して棚田夫人光子、小女《こおんな》、私が逢《あ》った下男《げなん》の老爺《ろうや》夫婦たち一同が、揃《そろ》って市内|畦倉《あぜくら》町の菩提寺《ぼだいじ》、厳浄寺で墓前の祭りを営んでいる最中に、無人の屋敷より原因不明の怪火を発し、由緒ある百八十年の建物は、白昼ことごとく燃え落ちてしまいました。そして、どこから出たものか、余燼《よじん》の煙《けぶ》る焼け跡から、二百年前の婦人の遺骨と確定せられるものが、一体発見せられたということを耳にして以来、なおさら私は、自分のこの確信を深めずには、いられなかったのです。
 その遺骨が殺された腰元のお高であったかどうかは、読者各位の御判断にお任せするとして、今の私の関心は、かかってリーゼンシュトック教授一人に、あるのです。教授は今|亜米利加《アメリカ》各地を旅行していられますが、日本へ帰られたならば早速教授に逢《あ》って、昭和二十五年の四月、すなわち今から二年と一カ月前に、なぜこの作曲が大変なものであ
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