かになった。
 警察医吉田弥三郎氏の鑑定によれば、決闘は本月十八日より、二十一日払暁の間に、行われたものと見られ、無人の孤島のため知る人もなく、今日まで四日間、放棄せられしものと判明、屍体《したい》は惨鼻を極めている。
 棚田判事の傍らに落ちていた刀は、刃渡り一尺八寸六分、無銘ではあるが、山城国《やましろのくに》京来派の名工、来国光《らいくにみつ》の作と伝えられ、同じく血を浴びて、井沢判事の屍体の下に落ちていた刀も、備前一文字吉房《びぜんいちもんじよしふさ》の作、一尺八寸六分の業物《わざもの》であり、両氏の無数の刀傷、またこの二つの刀身に血ぬられた、人間の膏《あぶら》、血痕《けっこん》等によって判断するに、両氏はいずれもこの名刀を振るって、凄惨にも死に至るまで決闘を続けたものと考えられている。
 しかも不思議なことには、市内上小路三百二十番戸、棚田氏宅から夫人光子(三十九歳)を召喚、綿密なる調査を続けた結果、両刀とも棚田家に伝わる、祖先伝来の名刀に間違いないことが、判明した。
 本月十八日、夫人は遥々《はるばる》東京より来訪せる夫君の親友井沢判事|饗応《きょうおう》のため、小女《こおん
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