めるであろうことは、もはや誰の眼にも明らかなところでしょうが、教授は終戦後の変り果てた、祖国[#「祖国」は底本では「祖母」]独逸を久しぶりに訪問していられるのでした。が、私の言いたいのは、その晩老教授に紹介されて、判検事一同とともに教授と食卓を囲んだ一時間の後、さて老教授のピアノ弾奏に耳を傾けていた時のことだったのです。ホテルのホールといっても、そう広いものではありません。五、六十畳そこそこくらいのものだったでしょうか? あちらの棕櫚《しゅろ》の陰に、こちらの椰子《やし》やゴムの熱帯樹の側《そば》に、敷き詰められた猩々緋《しょうじょうひ》の絨毯《じゅうたん》の上に、足を組んだり煙草《たばこ》を吹かしたり、ヴァインの盃を傾けながら、連中は教授のピアノを聞いているのでしたが、かねての約束なのでしょう、サンサーンスや、バッハの小曲を弾き終えたのち、教授はピアノの上に載せられた譜本を取り上げました。
「今度ハコレヲ聞キタイノデスカ? ソレトモコノ方ヲ?」
 と別の譜本を取り上げられました。
「先生済みませんが、その三浦という人の曲を聞かせていただけませんでしょうか? ここにいられる医師の前島さ
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