みましたら、
「棚田の息子が結婚するんでお祝いに送ろうと思ってね。岡山とかの大きな商人の娘と結婚するという話だが」
 という父の返事でした。
 先方には年老いた母親があり、私の方には老人夫婦がいるために、昔|気質《かたぎ》の義理深く、時々はこういう知らせも寄越《よこ》していたのでしょう。そして時々は私の耳へもはいっていたのでしょうが、その頃は私が西大久保《にしおおくぼ》で医院を開業してから、もう十五、六年ぐらいは経っていたかも知れません。十四を頭に男の子ばかり三人もあり、患者は一日三、四十人近くも詰めかけて、とても一人では往診も何も間に合ったものではないのです。医員も殖《ふ》え、看護婦も多数い、女中が来、乳母が来、書生や下男《げなん》が殖えて、私が静岡の親を顧みるのも、二月《ふたつき》に一度、三月《みつき》に一度……この頃はまことに稀《まれ》になってきました。したがって棚田という名前も、以前ほどは入ってもきませんでしたが、棚田裁判長という名が、新聞に華々しく現れるようになったのは、何でもその頃ではなかったかと思います。その時分、憲政会という加藤高明の主宰している大きな政党があり、その政
前へ 次へ
全52ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
橘 外男 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング