日曜、ここへ遊びに行った、市内古町住宅九十三号、大村入国者収容所職員、中込佐渡雄君(二十六歳)、岩瀬忠市君(二十四歳)、秋月敏子嬢(二十一歳)、詠村道子嬢(二十三歳)等の吏員が、同島南海岸を逍遥《しょうよう》中、海浜より七、八メートル離れた這松《はいまつ》の根元に、四十五、六歳ぐらいの鼠《ねず》背広、格子縞《こうしじま》の外套《オーバアー》の紳士が紅《くれない》に染んで倒れ、さらに北方十二メートルのところに、同様上品な服装の痩《や》せ形の紳士が、同じく血に塗《まみ》れて絶命しているのを発見、大騒ぎとなった。
 急報を受けた、国警大村警察の調べによれば、鼠背広の紳士は、一年前より肺を病んで休職中の、東京高等裁判所判事、三浦襄のペンネームをもって作曲家としても有名なる、棚田晃一郎氏(四十四歳)、もう一人の紳士は、病気見舞のため四、五日に西下、同判事宅に逗留《とうりゅう》中の、同じく東京高等裁判所判事井沢孝雄氏(四十六歳)と判明、前後の事情より推して、二、三日前両氏は、ひそかに人なき孤島に上陸、兇器《きょうき》をもって互いに斬《き》り結び、数個所の重症を負うて、絶命したものであることが、明らかになった。
 警察医吉田弥三郎氏の鑑定によれば、決闘は本月十八日より、二十一日払暁の間に、行われたものと見られ、無人の孤島のため知る人もなく、今日まで四日間、放棄せられしものと判明、屍体《したい》は惨鼻を極めている。
 棚田判事の傍らに落ちていた刀は、刃渡り一尺八寸六分、無銘ではあるが、山城国《やましろのくに》京来派の名工、来国光《らいくにみつ》の作と伝えられ、同じく血を浴びて、井沢判事の屍体の下に落ちていた刀も、備前一文字吉房《びぜんいちもんじよしふさ》の作、一尺八寸六分の業物《わざもの》であり、両氏の無数の刀傷、またこの二つの刀身に血ぬられた、人間の膏《あぶら》、血痕《けっこん》等によって判断するに、両氏はいずれもこの名刀を振るって、凄惨にも死に至るまで決闘を続けたものと考えられている。
 しかも不思議なことには、市内上小路三百二十番戸、棚田氏宅から夫人光子(三十九歳)を召喚、綿密なる調査を続けた結果、両刀とも棚田家に伝わる、祖先伝来の名刀に間違いないことが、判明した。
 本月十八日、夫人は遥々《はるばる》東京より来訪せる夫君の親友井沢判事|饗応《きょうおう》のため、小女《こおん
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