の人格については云々《うんぬん》しませんさ! しかし僕はあの人は道を誤られたんじゃないかと思うのですよ。あの人は作曲家になって自分一人の天分をコツコツと掘り下げて行くべきはずだったと思うんです。芸術家として生きるように、運命づけられた方じゃなかったかと思うんですがね。だからあの方は自分でも意識せずに、随分悩んでられるんじゃないでしょうか?」
「へえ! あの人は作曲をするんですか?」
と、びっくりして私は口をはさまずにはいられませんでした。
「おや! あなたは御存知なかったのですか?」
と安井判事の方がもっと驚きました。
「三浦|襄《じょう》といえばその方面では有名なもんですよ」
と棚田判事の作曲上のペンネームを安井氏は挙げました。
「我々のようなガサツな人間にはわからんですがね、その方には素晴らしい才能を持ってられるらしいですよ。もう大分発表してるんじゃないでしょうかね?」
「へえ、そいつは知りませんでしたな。そういう才能を持ってたんですかねえ? ……あの人が!」
と私は眼を円《まる》くしましたが、その瞬間にいつか大村で聞き流した、あの言葉を思い出さずにはいられなかったのです。
「今音楽学校の教授のリーゼンシュトックさんが……」
と、最高検の土井検事が口をはさみました。
「独逸《ドイツ》へ帰って来ていられるんですがね。今夜我々と会食した後で、ピアノを聞かせて下さることになってるんですよ、どうです、その時リーゼンシュトックさんに棚田さんの作曲を一つ弾いてもらおうじゃありませんか? あなたも御一緒にいらっしゃいませんか?」
「ああそれがいい、それがいい……お待ちしてますからいらっしゃいよ」
と、ほかの連中も賛成してくれて、結局一同に勧められて、私もその晩の会食に出席することになったのです。リーゼンシュトックという教授がどういう人であったか、ということは、私なぞより読者の方が詳しいでしょうから、余計な冗事を並べたてる必要もないでしょうが、教授がドイツ一のピアニストとして、ヒットラーに追われて、グレゴール劇場の指揮者から上野の音楽学校の教授に抜かれてから、もはや何年くらいになるでしょうか。日本の楽壇に沢山の弟子を送り出して、日本人の奥さんを持ち、自国語同様、巧みに日本語を操り、そして東洋の風習を愛し切っている、この七十に垂《なんな》んとする老教授が、日本に骨を埋
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