父を制止しようとするでもなく、姉の屍骸に取り縋って泣いている母と、小作人の妻と……なぜ姉が死んだのか? そしてなぜ父があのように怒り切っているのか? それらの原因は一切わからぬながらに、青年には今でもまだその時の悲惨な光景を、忘れることができなかったのです。寒い朝でした。西九州ではめったになく酷《ひど》い霜の降った、寒い朝だったことまで、ありありと頭の中に刻み込まれていました。
「そして今でもまだあなたは、なぜ姉さんがそんな自殺をなさったのか、そのわけがわからないのですか?」
「わからないんです。迂闊《うかつ》なようですが、今でもサッパリ見当がつかないんです。淋《さび》しそうな顔はしていても、父でも母でも姉のことは決して口にしませんし……元から無口な父でしたが、それ以来、一層口数が尠《すくな》い人になってしまって……余計なことを言い出して、親の暗い顔を見るのは厭ですから、僕も何にも言いませんし……おまけに小作人の妻まで、間もなく病気で死んでしまったもんですから……」
「そうですか、あなたにお姉さんがおありだということも、私は知りませんでしたし、ましてそういう亡くなり方をなさったということも……あなたが一高へおはいりになった時は、さぞお父様もお喜びだったでしょう」
「父はそのずっと前に亡くなっているのです。姉が死んでから、三、四年もたってから死んじまったんですが」
「それからお母様とずっとあの家に」
「そうです」
「へえ! よくまあ淋《さび》しくないもんですね」
「馴《な》れてますから何ともないですよ」
 と、青年は含み笑いを洩《も》らしました。そしてこういう哀れっぽい話は、止《や》めてしまいましたが、およそ、これらの話も、晃一郎君は何も自分から順序だて、私に話して聞かせようとしたのではありません。私の問いに答えて重い口からポツリポツリと……それを私が今記憶を纏《まと》めてみたに過ぎないのです。
 総じてこの青年は、元気そうな表面に似ず、内気な性質らしく、年にも似合わず落ちついていましたが、そのせいか時に陰気くさくさえ見えることがありましたが、そうした性格が内の面にこもっている憂鬱《ゆううつ》や、悲しみなぞといった心の動きを、あまり表面へ現さなかったものではないかと思われました。が、いずれにせよ、話を聞きながら、その時私は、青年の姉が入水《じゅすい》した池が、昔仕置き
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