大なことを俺に前もって言ってくれなかったんだ! 発熱して眩暈がする? OH《オウ》! 聞いただけでも堪え切れん! これは弱った!」
 と途方に暮れたが、たちまち猛虎のごとくに眼を輝かせた。
「さあ、今の薬の包紙をもう一度俺に読んでみてくれ、詳しく俺に読んでみてくれ! 君は医者ではない! 場合によれば、俺はこれからすぐに医者へ行って、解毒剤を掛けてもらわねばならん! さ、今の包紙をどこへやった? 何? 破って棄てたと? AW《アウ》! GODDAMN《ゴッダム》 YOU《ユー》!」
 と頭を抱えて、狂気のように紙屑籠《かみくずかご》を穿《ほ》じくり出した。
「OH《オウ》! OH《オウ》!」
 と野郎は泣き声を出して困じ果てた。
「実に弱った。外《ほか》のことならかまわんが、身体のことだけはどうにも俺には堪えられん。OH《オウ》! 早く見てくれ、服用後何時間内に発熱すると書いてあるか?」
「そのことについては別段書いてない」
「不届きな薬なんぞ消えっちまえ! |それだから日本の薬は信用ができんと言うのだ《ザッツ ワイ アイ カント トラスト ジャパニーズ メデシン》!」
 と呶鳴《どな》り出したが、今にも眩暈《めまい》が始まってくるかと思えば心も心ならず、またぞろ頭を抱えた。
「俺はつくづく君が憎くなる! 人が厭《いや》だと言うものを無理に飲ませておいて、今更こういうことではもう我慢が、できん!」
 と体温計を口の中へ突っ込みながら嘆き立てた。
「ではグスタフ、俺は忙しいからこれで失礼をする」
 と私は立ち掛けた。途端に慌てて野郎がむんずと私の手を掴《つか》まえた。
「今帰っては困る! しばらくいてくれ! もう少しの間ここにいてくれ! 君にも責任がある。俺の眼が廻ってきたら誰が介抱してくれるだろう。心細いからしばらくいてくれ、訳のわからん東洋の薬なんぞ飲んで今に発熱したり眩暈《めまい》がすると思うと、俺には堪えられん」
「俺が好意で君に薬を勧めているのに、君はそんなことを言って人を脅かす気か」
「脅かすんではない、心細くて堪《たま》らんから、君に頼んでいるのだ! 何でもいいから、しばらく一緒にいてくれ」
 とグスはしまいには眼に哀願の色さえ泛《うか》べて、そのくせ恐ろしい腕力で私の手を鷲掴《わしづか》みにして放さなかった。が、その途端であった。
「出た、出た! タチバナ! 熱が出た! 三十九度ある」
 と世にも情けない声を出した。
「何?」
 と思わず私も折り重なって体温計を透かして見たが、不思議なるかな、度盛りは確かに三十九度を示している。急いで当人の額へ手をやってみると、なるほど火のような熱であった。そしてグスはもう腰掛けてもいられぬらしく、長椅子《ソーファ》の上にグッタリとノビていたが烈《はげ》しく眩暈がしてくるという訴えであった。
「ああ苦しい! タチバナ、酷《ひど》い物を俺に飲ませてくれた! 苦しい! 胸が灼《や》け付くように苦しい!」
 と頸《くび》に手をやって、カラアもワイシャツもバリバリと掻《か》き破りながら、長椅子の上にのた打っているグスタフを見ていると、私も思わず竦然《ぞっ》と身震いがした。万一そんなことがあろうとは思われぬが、もしや私のやった葛根湯の中に、間違って何かの毒でも混入していたのではなかろうかと、私も蒼《あお》くなった。グスタフはのた打ち廻って、もう側に私のいることにも気が付かぬらしかった。
「駄目だ! 手が麻痺《しび》れて[#「麻痺《しび》れて」は底本では「痳痺《しび》れて」]きた。早く医者《ドクター》を呼んでくれ、医者を!」
 と胸を大波のように喘《あえ》がせながら、譫言《うわごと》のように繰り返していた。もう、冗談や悪ふざけどころではない。私は震えながら、ビルの事務所に電話を掛けて、医者を一人大急ぎで寄越《よこ》してもらうことにしたが、その間も必死になって濡れタオルを額に載せたり胸に載っけたりして、
「グスタフ、しっかりしてくれ! 気をしっかり持ってくれ!」
 と泣かんばかりの気持で謝った。
 やがて医者が来て私は吻《ほ》っとしたが、この医者がまた粗忽《そそっか》しい野郎でノックもせずにはいって来ると、いきなり入口に置いた洗面器を蹴飛《けと》ばしてそこら一面水浸しにした。そして、
「ほほう! 外国のお方だね。これは困ったね、私は言葉がわからないんでね」
 と脈も執《と》らぬさきから尻込《しりご》みするには心細い思いがした。
「どれどれ! どんな具合ですね。舌を出して御覧なさい!」
 といったところで日本語のわからぬグスタフが、舌を出そうはずもない。私は気もそぞろに、
「グスタフ! 舌を出すんだとさ! 舌を出しな!」
 と叫んだ。
「一体何を上がったんです?」
 とこの粗忽《そそっか》しい医者
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