城で、少し予定に狂いが来ているはずである。私は帰ると言い出した。慎太郎さんもすぐ賛成した。何でも、同じ白馬に十四度登っても仕方がないというような、大町を立つ前から判り切っていた理窟を申し述べたことを覚えている。かくて我々二人は一行に別れて下山の途についたのである。
私は、いささか恥しかった。というより、自分自身が腹立たしかった。前年、友人二人と約十日にわたる大登山をやり、大町に帰るなりまた慎太郎さんと林蔵と三人で爺《じい》から鹿島槍に出かけたのに比して、たった一年間に、何という弱りようをしたものだろうと思ったからである。だが、朝の山路はいい。殊に雨に洗われた闊葉樹林の路を下るのはいい。二人はいつの間にか元気になって、ストンストンと速足で歩いた。
この下山の途中である。ふと北の方を眺めた私は、桔梗色に澄んだ空に、ポッカリ浮ぶ優しい山に心を引かれた。何といういい山だろう。何という可愛らしい山だろう! 雨飾山《あまかざりやま》という名は、その時慎太郎さんに教わった。慎太郎さんもあの山は大好きだといった。
この、未完成の白馬登山を最後として、私は長いこと山に登らなかった。間もなく私の外国生活が始まったからである。一度日本に帰った時には、今つとめている社に入ったばかりなので、夏休をとる訳にも行かなかった。翌年の二月には、再び太平洋を渡っていた。
だが雨飾山ばかりは、不思議に印象に残っていた。時々夢にも見た。秋の花を咲かせている高原に立って、遥か遠くを見ると、そこに美しい山が、ポカリと浮いている。空も桔梗色で、山も桔梗色である。空には横に永い雲がたなびいている。
まったく雨飾山は、ポカリと浮いたような山である。物凄いところもなければ、偉大なところもない。怪奇なところなぞはいささかもない。ただ優しく、桔梗色に、可愛らしい山である。
大正十二年の二月に帰って来て、その年の四月から、また私は日本の山と交渉を持つようになった。十三年には久しぶりで、大沢《おおさわ》の水を飲み、針ノ木の雪を踏んだ。十四年の夏から秋へかけては、むやみに仕事が重なって大阪を離れることが出来なかった。だが、翌年はとうとう山に登った。
六月のはじめ、慎太郎さんと木崎湖へ遊びに行った。ビールを飲んで昼寝をして、さて帰ろうか、まだ帰っても早いし、という時、私はここまで来た序《ついで》に、せめて神城村《かみしろむら》の方まで行って見ようと思いついた。一つには新聞社の用もあったのである。北アルプスの各登山口について、今年の山における新設備を聞く必要があった。そこで自動車をやとって出かけることにした。
木崎湖を離れてしばらく行くと、小さな坂がある。登り切ると、ヒョイと中綱湖《なかつなこ》が顔を出す。続いてスコットランドの湖水を思わせるような青木湖《あおきこ》、その岸を走っている時、向うにつき出した半島の、黒く繁った上に、ポカリと浮んだ小さな山。「ああ、雨飾山が見える!」と慎太郎さんが叫んだ。「見える、見える!」と私も叫んだ。
左手はるかに白馬の山々が、恐ろしいほどの雪をかぶっている。だが私どもは、雪も何も持たぬ、小さな、如何にも雲か霞が凝って出来上ったような、雨飾山ばかりを見ていた。
青木湖を離れると佐野坂《さのざか》、左は白樺の林、右手は急に傾斜して小さな盆地をなしている。佐野坂は農具川《のうぐがわ》と姫川《ひめがわ》との分水嶺である。この盆地に湛える水は、即ち日本海に流れ入るのであるが、とうてい流れているものとは見えぬぐらい静かである。
再び言う。雨飾山は可愛い山である。実際登ったら、あるいは藪がひどいか、水が無いかして、仕方のない山かも知れぬ。だが私は、一度登って見たいと思っている。信越の空が桔梗色に澄み渡る秋の日に、登って見たいと思っている。もし、案に相違していやな山だったら、下りて来るまでの話である。山には登って面白い山と、見て美しい山とがあるのだから……
底本:「山の旅 大正・昭和篇」岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年11月14日第1刷発行
2007(平成19)年8月6日第5刷発行
底本の親本:「山へ入る日」中央公論社
1929(昭和4)年10月
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年6月21日作成
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