私たちは、その豪壮な岩壁を見ると直《す》ぐに、道から近くの所へ天幕を張った。谷川木谷の俎※[#「山/品」、第3水準1−47−85]《まないたぐら》で、大した岩も味《あじわ》えずに失望した自分たちは、この沢の鬱林の上に立ちめぐらされた岩の、陰惨な相貌を望むに及んで、新しい岩への熱情と、登攀への高揚せる意志とを吹き込まれた。そして夕闇が全く岩壁を飲込んでしまうまで、暗い壁を幾度も眺め返しつつ、快い空想に耽りながら、いそいそと準備を整え寝に就いたのだった。
 その夜は思いがけない蚊の襲撃に悩まされ、破れがちな微睡《まどろみ》の中に明けた。空はどんより曇っており、霧は昨日よりも低く岩壁の上に垂れ下がっていたものの、ともかく岩の様子を調べようと思い、飯を済ませると直ぐ天幕を出た。
 沢石伝いに約三十分ほど行くと、右から小さい沢が落合い、そこから狭い岩床となる。その所を右岸の人の踏んだ跡を通って過ぎると、沢は再び石が累積し幾分広くなって、右岸から急な沢(一ノ沢)が落込んでいる。そしてそのすぐ上手《かみて》において、既に雪渓の下端にぶっつかった。夏でも雪があるという事はかつて成瀬岩雄氏から聞いてはい
前へ 次へ
全14ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小川 登喜男 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング