たが、高々六、七百メートルのこの辺にこのような大残雪を見出した事は意外であったし、また嬉しくもあった。
 雪渓の下端は洞窟のように融け込み、大きな口を開いてのしかかっているので、いずれかの岩壁を搦《から》んで、すこし上から降りなければならない。両岸はともに草の混った急傾斜である。自分たちは右を登り、念のためロープを付けて雪渓へと下った。冷《つめた》い朝の微風は心地よく頬をなぶる。時々前面の岩壁を見上げながら、堅雪の上をポツポツ登って行くと、やがて衝立岩《ついたていわ》の真下辺りで、二ノ沢の落込む少し上で、雪渓はくびれたようになって幅一|米《メートル》半ほどの裂罅《れっか》が雪渓を上下に切り裂いている。
 自分たちは、是非《ぜひ》奥の壁に近づいて見たいと思っていたので、うまく飛越せはしまいかと狭まそうな所を捜して裂罅の縁を歩いて見たが、向こう側がやや高いし、蒼白く裂け込んでいる深いその中を覗《のぞ》くと、余りいい気持がしないので暫《しばら》くためらっていた。しかし自分が右手の一枚岩の岩場を下から大きくまいて上へ出るルートを考えていると、田名部が「ブロックを作ってロープで降りようじゃないか」と提議したので、ようやく自分も本で見たその技術を思出し早速取掛かる事にする。裂罅の右端へ行って見ると、充分雪の厚みはあり十米ほど下の岩場の工合もいいので、そこを選んでピッケルを振う。間もなく方二尺位のブロックが切られ、リングに通してロープが垂《たら》されると、最初に田名部が巧みに降りて行く。そしてルックザックを下して、次に高木が、それから自分が堅雪の壁を楽に降り、容易に下の岩場に立つ事が出来た。思いがけなくも此処《ここ》で、今まで試みた事のない技術をうまく使ったという喜びが、皆の顔を明《あかる》くした。
 再びロープに結び合うと、その岩場を左上へと登り、五十米ほど行ってから裂罅の小さそうな所を撰んで上の雪渓の傍へ下る。そこの裂罅は五十度あまりの傾斜なので十ほどステップを切って雪渓の表面へ出た。
 ブロックを使った事に対し、何かしら得をしたような気持になってすっかり気をよくした三人は、昨夜の不愉快な蚊の事や、寝不足も忘れて、上部の雪渓を調子よく登って行った。雪渓の傾斜は段々増し、その最上部は相当急でもあり、表面が融け固《かたま》ったのか、あるいは激しい雪崩《なだれ》の圧力のためか、氷の
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