移植出来得べき者にあらず。移植と蕃殖の可能の種類は、苗圃を作り愛好者に分譲する考えである。自然は我らに無償にて百花を爛漫《らんまん》たらしめ、芳香を馥郁《ふくいく》たらしむることを思わば、枝葉を折り採る事の出来得べきはずなし、万物の霊長たる資格を標示すべきである。
秋となれば樹類と草種の区域を限定し、沼面の水草より変色し、黄色と赤色、紫色と種々の草の秋色が劃然としている、その美観!
白樺の紅葉は全山一方里位、燧岳の紅葉は匍松《はいまつ》地帯より始まり、赤色ナナカマド針葉樹内に混色し、熊笹の沼山峠の近傍より大江川尾瀬沼の附近、三平峠の下の白樺帯の如き密林の紅黄葉は、到底日光、湯本、伊香保、榛名山、塩原、十和田、碓氷峠等にて見る事は出来ぬ。尾瀬沼は他に例のない紅葉と草色の紅黄を取り交ぜて大自然の神苑であるというてよろしいと思う。
ただ惜むらくは紅葉の期節は短くして十月上旬に限られていることである。
尾瀬沼保護につき、山人の抱負の一端を披瀝《ひれき》するも敢て徒労ではあるまい。
尾瀬沼は如何《いか》にして保存すべきか。学生村を創設し、享楽場として自然を有意義に利用せんとする企《くわ
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