やかな手ぎわで結ばれた。先頭の彼氏は徐《おもむ》ろにステップを踏みはじめた。五十パーセントの臆病と、五十パーセントの勇気で包みながら。
俄然《がぜん》、彼氏の縋《すが》った岩角がもろくも砕けて吁《ああ》っと思う間もなく、足を踏みはずしてしまった。続いて彼女が必死の悲鳴を挙げた。彼の胴腹にも同時に強いショックが伝わった。危く踏み堪えて、満身の力を籠《こ》めてこれに抵抗したのであった。実に幸にして、彼の踏み堪えは利いて、すんでの事に失われようとした二人の生命は救われた。再び、引上げられた時彼女は、思わず感謝の叫びをあげながら、先刻グロテスクだと思った彼の手を堅く握り〆《し》めて、今更のように肩幅の広い、厳丈なこの山人の体を頼もしげに見詰めたのであります。めでたし、めでたし。
*
私は、与えられた「案内人風景」から脱線して、下らない登山風景を述べてしまった。
せめて、この案内者を、彼の家にまで送り届けて擱筆《かくひつ》しなければならない。
山からの彼の帰りを待ち兼ねていた彼の女房は、彼の顔を見ると、申訳なさそうな面色で告げた。
「おめさまの留守にな、この子の奴が縁側から這いずり落ちて、コレまあこんな大《で》かい瘤《こぶ》をこしれえただよ!」
そこで彼は怒鳴ったのであった。
「なんで、わりゃアンザイレンしておかねえだ!」
底本:「山の旅 大正・昭和篇」岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年11月14日第1刷発行
2007(平成19)年8月6日第5刷発行
底本の親本:「文藝春秋」
1931(昭和6)年7月
初出:「文藝春秋」
1931(昭和6)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※初出時の署名は、黒部溯郎です。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年6月21日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全5ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
百瀬 慎太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング