た新しい二階の一室に入る、天井の低い、壁のない、畳の凸凹な、極めて粗末な部屋だが、新しいので我慢も出来よう。主人はやって来て「小島サンもこの室に御泊でした、この夏山岳会の大勢の御方の時は、ここと隣りの部屋とにおられました」と語る。親しい友の、幾夜さかを過した座敷かと思うと何となく懐かしい。
着いた時に、パッと明るく障子に射していた午後二時の日の光は、三十分もたたぬうちに前の山に隠れてしまった。いまはまだ一日に一時間位い、この谷に日は照らすが、冬になると全く日の目を見ないそうだ。さぞ寒かろうと思う。
浴衣を貸してくれる、珍しくも裾は踵《かかと》まである、人並より背の高い私は、貸浴衣の丈《たけ》は膝までにきまったものと、今まで思っていたのだ。
浴槽は入口の近くにあって、五、六坪もあろう、中を二つに仕切ってあって、湯は中央のあたりに、竹樋から滔々《とうとう》と落ちている。玉を溶かしたように美しいが、少し微温《ぬる》いので、いつまでも漬《つか》っていなくてはならない。流し場もなければ桶一つない、あたりに水もない殺風景なものだ。湯は温微でも風邪にはかからぬと宿の人は保証する、風邪のときも湯に入ると治りますという、近在から来ている二、三の湯治客は、幾度も幾度も湯に入り、いつまでもいつまでも湯の中にいるのである。
長火鉢、これはこの火鉢が出来て以来、中の灰は掃除したことがあるまい。きっとないと請合《うけあ》える位いの穢《きた》なさだが、火も炭も惜気もなく沢山持って来られるのは、肌寒き秋の旅には嬉しいものの一つである。宿から出してくれた凍りがけの茶受には手は出ない。持参の「ココア」を一杯飲んで、湯上りの身体を横たえた時はよい心持だった。
縁に立って西の方を見ると、間近く山が逼《せま》って来て、下の方遥かに早川の水が僅かに見える。湯川に架れる釣橋も見える。紅葉はまだ少し早く、崖の下草のみ秋の色を誇っている。裏の窓を明けると、目の下に古湯の建物が見え、その背後に湯川が滝のように落下している。南の方からも水は来て、すぐ窓の下を轟々《ごうごう》と音たてて流れている。渓《たに》は狭い、信州上高地のように、湯に漬りながら雪の山を見るという贅沢《ぜいたく》は出来ない、明日は七曲峠の上で白峰を見たいものだと思う。
ここから上湯島へ三十丁、下湯島へ一里、奈良田へは一里半もあるという、郵便は近頃毎日配達されるが、甲府から四日目でなくては着かぬそうだ。
六
その夜は快く眠った。明くれば天長節、満空一点の雲もない好天気だ。裏の滝壺で顔を洗う、握飯を腰にして平林道の峠を上る、幾十折、雑木を抜けると焼畑がある。また林に入る。暑さに苦しみながら十四、五丁も上ると、北の方に忽然《こつぜん》雪の山が現われた。白河内《しろこうち》岳という白峰連山の一部であるそうだが、この時はやはり名を知らない。高く上れば多く見えるわけだ。脚《あし》は痛いが勉強して上る。初め三角形に白かった山は、肌が見えて来る。赭色をした地辷《じすべ》りも露われてくる。もう少しもう少しと上るうちに、南の方にもまた一つ白い峰が顔を出す。これは昨日見た悪沢《わるさわ》岳だ。更に上り上って、終に一里あまりも来て、大きな山毛欅《ぶな》を前景に、三、四時間ばかり一生懸命に写生をした。
日は南へ廻って、雪の蔭は淡くコバルト色になる。前岳は濃いオルトラマリンに変る。近くには半ば葉の堕《お》ちた巨木の枝が参差《しんし》として「サルオガセ」が頼りなげにかかっている。朝から人にも逢わぬ。獣も見ぬ、鳥さえも啼《な》かぬ、山中の白日は深夜よりもなお静かである。
写生が終った時は、日もよほど傾いた。元の道を下ること十余丁、山と前景の色の面白いところで、一枚のスケッチをして宿に帰った。まだ四時前なのに、もうランプが点《つ》いていた。
七
四日は曇っていた。今にも降りそうなので躊躇《ちゅうちょ》したが、十時頃出て見た。まず下の早川の岸へゆく、二、三丁のところだけれど、石道の急坂で、途中に水溜りもあるので、下駄《げた》ではゆけない。脚絆《きゃはん》もつけ草鞋も穿《は》いて武装しなければならない。坂を下ると人の住まぬ古家がある。たけ高き草が茂っている、家の前には釣橋がある、針金を編んで、真中に幅広からぬ板が一枚置かれてある。夏の頃、湯の客が毎晩来ては動かして遊んだとかいうので、足をかけるとグラグラと揺れて、僅か四、五間の板を蹈むにもよい心持はしない。
渡り終って、左の崖の崩れを強《し》いて下ると小さな河原がある。上流から木を流す時、浅瀬に乗り岩に堰《せ》かれたおりに、水の中心に押やるため、幾人かの山人が木と共に下って来る。その人たちの歩む道が、砂の上岩の角に印を止めている。粘板岩というのであろう。薄く剥《は》がれる黒い大きな岩を越えると、水際で、澄みわたった水は矢よりも早く流れてゆく、あたりには青い石も赤い石もある。霧のかかった上流の山、紅に染まった両岸の林、美《うるわ》しい秋の絵が一枚出来そうである。
私は、刻んで動く水を好まない。この川の上流は野呂川とよばれて、水は油のように、山影を浮べたまま静かに静かに流れているという、私はそういうところを画きたいが、この空模様で二里三里の奥へゆく勇気もなく、終にここの河原に写生箱を開くことにした。
空は漸く暗くなって、水の色が鉛のように光る。霧の霽《は》れた山はおりおり頂を見せる。足下に流るる水を筆洗《ひっせん》に汲んで鼠色の雲を画き浅緑の岩を画く。傅彩《ふさい》画面の半ばにも至らぬころ、ポツリポツリと雨は落ちて来て、手にせるパレットの紅を散らし紫を溶かす、傘をかざしてやや暫くは辛抱したが、いつ歇《や》むとも思えぬ空合に、詮方なく宿に帰った。
この夜、大雨の中を、宿のおかみさんは青柳から帰って来た。このあたりでは、六、七歳位いまでの子供を「ボコ」という、その「ボコ」を二人連れて、七里の山道を、天長節のお祭見物に青柳へ泊りがけで往っていたのだという。女中のお吉さんは、雨のふりしきる中を、一里あまり峠上の飴の茶屋まで出迎にゆき、「ボコ」を負うて帰って来たが辛かったとこぼす。お吉さんはさっぱりとした気性の、よく働く娘で、平林のものだという。おかみさんのお伴に往ったお春という女中も帰って来た。「お祭は面白かったかね」と問うたら「往きにも帰りにも、また青柳でも『ボコ』を背負い詰めで、何の面白いどころかからだが砕けそうだ」とこれも少からず不平をいっていた。
八
晩秋は雨の少い季節だのに、五日になってもまだ降っている。うす暗い座敷で写生を突ついたり書物を見たりして暮らす。ラスキンの伝記も見た。トルストイの「ホワット・イズ・アート」も読んだ。昼前に若い一人の男が来て、兎を一羽買ってくれという。副食物の単調に閉口しているおりだから早速三十銭で求める。いろいろ近所の山の話をして男は帰った。
昼には兎を煮てきてくれた。おかみさんは鍋を火鉢にかけながら、兎の価が高いというてうるさいほど口小言をいう、こちらはそんなことはかまわない。塩引鱒《しおびきます》や筋の多い牛の「やまと煮」よりは、この方が結構である。
退屈紛れに幾度も湯に入る。浴槽の天井には一坪ほどの窓があって、明放しだから、湯の中に雨が降り込む、入口も明け放しで、渓の紅葉の濡色《ぬれいろ》が美しい。湯に全身を浸している時は馬鹿に心持はよいが、出ると寒くってゾーっとする、も少し熱かったらと残念に思われる。
雨の日や夜分は、便所の通いもいささか厄介《やっかい》である。母屋を離れて細い崖の上を二十間もゆくので、それもあまり綺麗ではない。時としては下駄のないこともある。あっても濡れていて無気味なこともある、夜は往々ただ一つの燈火が消えていて、谷へ落ちはしまいかとおそるおそる足を運ばなければならない。
九
六日には漸《ようや》く晴れた。結束して奈良田の方へ往った。白雲の去来|烈《はげ》しく、少しく寒い朝であった。
早川渓谷の秋は、いまは真盛りで、いたるところの草木の色は美《うるわ》しい。細い細い道を辿ってゆくと、時として杉の林の小暗《おぐら》きところに出る、時として眩《まぶ》しいような紅葉の明るいところに出る、宿から半道も来た頃、崖崩れのために道は絶えた。
見ると四、五十間の広さに、大石小石のナダレをなしている。幾百丈の上より幾十丈の渓底まで、八十度位い、殆ど直立同様の傾きで、あたかも滝のように、そして僅かの振動にも、石はカラカラと落ちて下りゆくほど勢いは加わり、初めの一つは忽ち十となり百となり千となりて、個々の発する恐しき叫びと共に、絶えず渓を埋めようとしている。五間おきには、小屋くらいある大きな岩が、今にも転がろうと、ただ一突の指先を待っているかのような姿勢で渓を覗《のぞ》いている。何という恐しい光景であろう。
下草の磨《こす》れているところを、少し斜めに歩を移すと、向うの崖に通ずる一条の道がたえだえに見られる。崩れたところを、僅かの足がかりを求めて踏固めたのであろう。湯島から奈良田へゆく人、奈良田から湯島へ来る人は、この道を急いで通るのであろう。もし道の半ばにして、あの上の大きな石の一つが動いたなら、そのままこの早川渓の鬼とならねばならぬ。
君子は危うきに近よらずという。私はここから引返そうと思った。虎穴に入らずんば虎児を得ずという。私は前へ進もうと思った。そして奈良田にゆけば雪の山が見えよう。雪の山を見たいという私の欲望は、終にこの危うき道を、三斗の冷汗を流しながらも通過さしたのである。
幸いに事なく過ぎて私は顧《かえり》みた、そして帰途再びこの冒険を敢てしなければならぬと思うて、慄然《りつぜん》として恐れたのである。ゆくこと四、五丁、山角を廻ると、太く大なる山毛欅の木がある。その暗き枝を透かして、向うに見える明るき山の色の美《うるわ》しさは、この世のものではない。暫《しばら》く佇立《ちょりつ》したが、とても短い時間で写せそうもないので割愛して進んだ。
沢近く下ってまた上ると、ボツボツ藁屋根が見える、中には石を載《の》せた板屋根もある。白壁も見える、麦の畑桑の畑も見える、早川谷最奥の部落奈良田であろう。
村に入ると、四、五人の子供が出て来た。いずれも目を大にして私を見上げ見下している。「異人だ異人だ」というのもある、「アンだろう」というのもある。無遠慮な一人はズカズカと傍へよって来て「オマイは誰だ」という、「この辺から白峰は見えるか」と問うと、「タケー見に来たのか、『メガネー』持ってるか、オマイの持っているのは何するンか」という「これは腰掛だ」と三脚を示したら、「コシイ掛けて、遠眼鏡でタケー岳見るのか」と肝心の山の見える見えないには答えもせでゾロゾロとあとについて来た。
十
二、三十戸の村を出ると、右に芦倉の峠がある。峠へ上って一里あまりもゆかなければ山は見えぬという。それよりもこの川上を左の渓へ入れば、白河内の山が見える。そのほうがよかろうと人に教えられて、早川に沿いて進む。四、五丁にして釣橋があるが、今は損じているので渡れない。河原へ下り危うき板橋を過ぎて対岸に移る。
農夫が山奥の焼畑へ通うための、一筋の道を暫くゆくと、西岸の山が急に折曲って、日を背にしたため、深い深い紫色に見える、その前を往手にあたって、数株の落葉松《からまつ》の若木が、真に燃え立つような、強い明るいオレンジ色をして矗々《ちくちく》と立っている。ハッと思って魅せられたように無意識に、私の手は写生箱にかかった。
狭い道の一方は崖一方は山、三脚を据えるところがない。人通りもあるまいと、道の真中に腰を下した。落葉松の新緑の美しいことは、かつて軽井沢のほとりで見て知っている。秋の色としては、富士の裾野に、または今度の旅でも鰍沢の近くで、その淋しげな黄葉を床《ゆか》しいと思った。しかし私が、今眼前に見るような、こんな鮮かな色があろうとは思い及ばなかった。植
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
大下 藤次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング