釣橋が一直線に見える。椏《みつまた》や山桐や桑や、人の植えた木が道に沿うてチラホラ見える。焼畑には哀れな粟や豆が作られてある、村人が三三五五それらの穀物を刈っている。豆がらを焼く煙が紫に立ち昇って、鼠色の空にうすれてゆく。
「もう一里ほどです」と人夫はいう。道は細く、山から辷《すべ》り落ちた角のある石の片けが、土を見せない。急な下り道では、足は石車に乗って、心ならずも数間を走らねばならぬ。人夫の背負うていた私の写生箱は、いつか細引の縛《いまし》めを逃れて、カラカラと左の渓《たに》へ落ちた。ハッと思って下を覗《のぞ》くと、幸いに十数間の下で樹の根に遮《さえぎら》れて止まっている。崖は傾斜が急で下りられない。大迂回をして漸く拾い上げたが、一時は吾《わが》事《こと》終れりと悲観したのであった。
川に近く下って、右に曲ると、上り坂だ。湯川の水の音は耳を聾するようである。見上げると三階建の大きな家がある、右の崖の上にも新しい家が見える。前なるは古湯で後なるは新湯、私は新湯の玄関に荷物を下させた。
五
紺の裾短かな着物を着た若い女中が出て来た。黒光りの長い縁側を通って、初めに見
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