いて来た。
十
二、三十戸の村を出ると、右に芦倉の峠がある。峠へ上って一里あまりもゆかなければ山は見えぬという。それよりもこの川上を左の渓へ入れば、白河内の山が見える。そのほうがよかろうと人に教えられて、早川に沿いて進む。四、五丁にして釣橋があるが、今は損じているので渡れない。河原へ下り危うき板橋を過ぎて対岸に移る。
農夫が山奥の焼畑へ通うための、一筋の道を暫くゆくと、西岸の山が急に折曲って、日を背にしたため、深い深い紫色に見える、その前を往手にあたって、数株の落葉松《からまつ》の若木が、真に燃え立つような、強い明るいオレンジ色をして矗々《ちくちく》と立っている。ハッと思って魅せられたように無意識に、私の手は写生箱にかかった。
狭い道の一方は崖一方は山、三脚を据えるところがない。人通りもあるまいと、道の真中に腰を下した。落葉松の新緑の美しいことは、かつて軽井沢のほとりで見て知っている。秋の色としては、富士の裾野に、または今度の旅でも鰍沢の近くで、その淋しげな黄葉を床《ゆか》しいと思った。しかし私が、今眼前に見るような、こんな鮮かな色があろうとは思い及ばなかった。植
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