に入ると治りますという、近在から来ている二、三の湯治客は、幾度も幾度も湯に入り、いつまでもいつまでも湯の中にいるのである。
長火鉢、これはこの火鉢が出来て以来、中の灰は掃除したことがあるまい。きっとないと請合《うけあ》える位いの穢《きた》なさだが、火も炭も惜気もなく沢山持って来られるのは、肌寒き秋の旅には嬉しいものの一つである。宿から出してくれた凍りがけの茶受には手は出ない。持参の「ココア」を一杯飲んで、湯上りの身体を横たえた時はよい心持だった。
縁に立って西の方を見ると、間近く山が逼《せま》って来て、下の方遥かに早川の水が僅かに見える。湯川に架れる釣橋も見える。紅葉はまだ少し早く、崖の下草のみ秋の色を誇っている。裏の窓を明けると、目の下に古湯の建物が見え、その背後に湯川が滝のように落下している。南の方からも水は来て、すぐ窓の下を轟々《ごうごう》と音たてて流れている。渓《たに》は狭い、信州上高地のように、湯に漬りながら雪の山を見るという贅沢《ぜいたく》は出来ない、明日は七曲峠の上で白峰を見たいものだと思う。
ここから上湯島へ三十丁、下湯島へ一里、奈良田へは一里半もあるという、郵便
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