幸いに事なく過ぎて私は顧《かえり》みた、そして帰途再びこの冒険を敢てしなければならぬと思うて、慄然《りつぜん》として恐れたのである。ゆくこと四、五丁、山角を廻ると、太く大なる山毛欅の木がある。その暗き枝を透かして、向うに見える明るき山の色の美《うるわ》しさは、この世のものではない。暫《しばら》く佇立《ちょりつ》したが、とても短い時間で写せそうもないので割愛して進んだ。
 沢近く下ってまた上ると、ボツボツ藁屋根が見える、中には石を載《の》せた板屋根もある。白壁も見える、麦の畑桑の畑も見える、早川谷最奥の部落奈良田であろう。
 村に入ると、四、五人の子供が出て来た。いずれも目を大にして私を見上げ見下している。「異人だ異人だ」というのもある、「アンだろう」というのもある。無遠慮な一人はズカズカと傍へよって来て「オマイは誰だ」という、「この辺から白峰は見えるか」と問うと、「タケー見に来たのか、『メガネー』持ってるか、オマイの持っているのは何するンか」という「これは腰掛だ」と三脚を示したら、「コシイ掛けて、遠眼鏡でタケー岳見るのか」と肝心の山の見える見えないには答えもせでゾロゾロとあとについて来た。

      十

 二、三十戸の村を出ると、右に芦倉の峠がある。峠へ上って一里あまりもゆかなければ山は見えぬという。それよりもこの川上を左の渓へ入れば、白河内の山が見える。そのほうがよかろうと人に教えられて、早川に沿いて進む。四、五丁にして釣橋があるが、今は損じているので渡れない。河原へ下り危うき板橋を過ぎて対岸に移る。
 農夫が山奥の焼畑へ通うための、一筋の道を暫くゆくと、西岸の山が急に折曲って、日を背にしたため、深い深い紫色に見える、その前を往手にあたって、数株の落葉松《からまつ》の若木が、真に燃え立つような、強い明るいオレンジ色をして矗々《ちくちく》と立っている。ハッと思って魅せられたように無意識に、私の手は写生箱にかかった。
 狭い道の一方は崖一方は山、三脚を据えるところがない。人通りもあるまいと、道の真中に腰を下した。落葉松の新緑の美しいことは、かつて軽井沢のほとりで見て知っている。秋の色としては、富士の裾野に、または今度の旅でも鰍沢の近くで、その淋しげな黄葉を床《ゆか》しいと思った。しかし私が、今眼前に見るような、こんな鮮かな色があろうとは思い及ばなかった。植
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