となったものであろう。
連日の雨もようやく上ったらしいので、同行の藤島君とともに十一月十六日に東武線の浅草駅を出発した。相老《あいおい》で足尾線に乗り換え、原向《はらむこう》で下車したのは午後四時近くであった。渡良瀬《わたらせ》川が少し増水して橋が流れ、近道は通れないとのことに本道を歩いて原に着いた。自分らは五万分の一足尾図幅に、原から根利山に向って点線の路が記入してあるので、それを辿《たど》って先ず国境山脈に攀《よ》じ登り、南進して千九百五十七米の三角点をきわめ、引き返してその北の一峰から西に沢を下り、地図の道に出て砥沢に行き、翌日何処からか皇海山に登ろうという計画であった。それで原に着くと早速路傍の人を捉えてはこの道の状況を訊ねた。結果は例のごとく不得要領に終ったが、若い人たちは有ると言うた。どうせ明日になれば分ることだから心配もしない。
原には宿屋がないので、五、六町北のギリメキまで行って越中屋というに泊った。他にもなお越後屋、石和屋というのがある。いずれも木賃宿より少し上等という程度のものに過ぎない。
砥沢から来たという男と同室した。その話によると国境には切明《きりあけ》
前へ
次へ
全26ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
木暮 理太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング