正せざる県庁の迂闊《うかつ》にも呆《あき》るれども、その県庁等より十年前に提出せし材料を輯製したるもの故、駒ヶ岳よりも高くしてかつ南に在《あ》る中ノ岳を、上野界に認めしやも知るべからず、同図の只見川以西の国界には西より数えて、荒沢岳、白沢岳、中岳、鶴ヶ岳とありて、鶴ヶ岳を北、南魚沼の郡界となし、鶴ヶ岳より北方に走れる山脈中に、中ノ岳、駒ヶ岳の諸山を描きたり、この図と同年に刊行されたる地質調査所の四十万分一予察図もまた鶴ヶ岳を以て郡界を北走せる山脈の起点とせり、以後鶴ヶ岳を境界とせるものすこぶる勢力あり、翌年に刊行されたる調査所の日光図幅には、只見川以西の国界を西より数えて、入岩岳 2008 平岳 2170 とありて、平岳を北、南魚沼郡界の東に記され、郡界|普近《ふきん》(会津図幅も参照せり)には鶴ヶ岳の山名を欠けり、こは殆んど現今の地図に斉《ひと》しきものにして、入岩岳とは鶴ヶ岳のことなり、鶴ヶ岳の称呼は越後方面の名なるが如く、檜枝岐の者は何岩(昨年の手帳を紛失して失念せり)と呼べり、けだし鶴ヶ岳は古生層と花崗岩地に噴出せる輝石安山岩にして、山勢附近の山岳に異なるを以ての故ならん、昨年刊行されたる測量部の五万分一図出でて、地形はじめて明瞭となり、平ヶ岳(平岳に作る)を八海山図幅に、鶴ヶ岳(影鶴山に作る)を藤原図幅に収めたり、地質調査所の二十万分一詳図は、いまだ全部の完結せざる故にや、地理学者の多くは同所の予察図に拠《よ》り、約三十年前に出版されたる日光図幅の正確なるものに採《と》らずして、『大日本地誌』の如きも平ヶ岳を省きて、鶴ヶ岳を載せたり、かくの如く鶴ヶ岳の名はかなりの勢力ありてまた好名称なれば、余は出所も知れざる新名称の影鶴山を避けて、鶴ヶ岳の名を用うるものなり。
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    平ヶ岳に登る

 平ヶ岳に関しては前章に於て長々と陳《の》べたが、まだ嫌焉《あきたら》ぬからこの章の前叙としてもう少し記する、この山は深山中の深山であって普通の道路から見えぬから、容易に瞻望《せんぼう》することが出来ないし、それが原因で世人に知られていないのである、また蓮華《れんげ》群峰や妙高山《みょうこうさん》や日光|白根《しらね》、男体山《なんたいさん》、赤城山、浅間山、富士山からも見えるには、見えているはずであるが群峰畳嶂の中にあるから、その独特の形状を認め
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