り、字を追っていたりする久能の傍には五分といつかないで、男一人が壁に向って、しかめ面をして考え事をしている陰惨さを怕がったり、嗤ったりして出て行くのだった。実際、久能の部屋といえば、書物や切抜きが取りちらかり、足踏みもならなくなっているばかりか、花瓶はあっても横ざまにころがり、時々垢じみた万年床が敷いてあったりして、シックな青年を見馴れている青江の興味を惹くものはどこにもなかった。
 秋の初めのある夜図書館からの帰りに、久能はその時雑誌の三号目の編輯当番だったので、三ツ木の処に廻って原稿を催促すると、彼もまだ手をつけていず、久能君、不思議だねえ、と三ツ木は歎息していった、筆をとるまでは百千万の想像が阿修羅の如くあばれまわっていたのに、いざとなるとそいつらは宦官のようにおとなしくなっちまいましてね、併し久能君、落付いてやりましょう、と下宿を飛び出し、撞球屋に案内して、白珠、赤珠をごろごろ限りなく撞き出したので、久能がもて余していると、三ツ木は、僕はこうやっているとふっといい題材を思いつくんですよ、といって久能を散々に負かした。久能が下宿に帰ってくると鍵がおりていた。お主婦《かみ》さんが起
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