今は一心に追っているなと感じ、殊更に冷淡に構え、虚勢を張っていると、着換えに押入を開いた青江は皮肉るように久能を見くだして、あなた、何かさがしたんじゃない? というので、久能はむっとして、捜されること知ってるあなたが、見付けられて悪いもの、何残して置くものかと怒ると、青江は殺倒する様に久能にしがみついて来、未だうたぐってるの? あたしがそんなに信じられない? ね、あたし信じられるためだったらどんなことでもするわ、そんな事より早く丈夫になって明るい顔してくださらない? と真剣に頼むので、久能は、何でもするね、するね、それじゃ本当のこといってくれ! 僕はどんな事いわれたって本当のことなら我慢するから、というと、青江はないことだけはいえないわ、そりあ無理よ、と髪をかき出した。
 ある夜久能は、死にたい、青江にも死んで呉れといった。青江の眼は動かなかった。僕はこんな信じ切れない状態で生きていたくなくなっている。自分の果したい仕事も開けて来ないし、この世に信じられるものは一つもない、青江が一緒に死んでくれて、彼女だけは信じさせてくれと、久能は青江の両手を抱いていった。そう? うん、判ったわ、と青江はしまいにいった。あたしもあなたを本当に気の毒に思っていてよ、急にそんな事いい出したの判るわ、だけど、それはあなたの本心じゃないんじゃない? あなたは未だ未だ将来を考えてるわ、あたしと結婚したくないんだって、そのためだわ。久能は青江のいう通りだ。こんな事で死んで了っては余りに他愛なさすぎる、俺には逞しい慾望がない訳では決してないのだ、と思いながら、どうしても自殺する決心だときかなかった。すると青江は、きっとあたしを脅かして何かいわせたいためなんでしょ? あたしに罠をかけてるんでしょ? そんなことされちゃ、あたしは意地になるだけだわ、いいえ、あたしにうしろ昏いとこあるからじゃない、意地でなら、一緒に死んであげてよ、あたしが潔白なことあなたに見せるためなら、だけど、あたし、それじゃあなたの他人になって死ぬのね、といった。久能は尚、説いて、どうせ人間の口でいう事なんか信じられない。あなたがその意地で、他人になって死んだら僕はうれしいんだ、二人が苦しみ出して絶命する迄に、きっと僕はどうしてもあなたを信じないではいられない瞬間にぶつかると思っているんだよ、僕を本当に愛しているのだったらこんな無理きいてくれないか?
 久能はそういいながら青江から圧迫を感じた。青江が本当に久能の自殺する気になっていないのを察し切って、あわて出さずにいるらしい、彼女があわて出さずにいれば、自分の方が先にあわて出すだろうと思うと、久能はもう観念の眼を閉じて、青江に負けていてはもう切りのない悲惨だ。本当に自殺しようとあやしい決意にゆすぶられ不安になって来た。それは丁度青江のなかにとびこんでいく前の不安と同じな怖しく、蕩かすような誘惑だった。
 久能と青江は街に出てキネマを見に這入った。久能は無感覚に画面をみつめ、青江の手を握っていた。楽しいようでもあった。そして、死というものはこんなに安易な、まやかしなものなのだろうか? と考えていた。青江にも変った風はなく、ときどき花粉にまみれたように化粧した顔をふりむけて久能に笑いかけ、指に力をこめた。しかし青江の奴、いつ逃げ出すかしれない。そうしたら自分はどう感ずるだろう、ホッとするか、失望するか、考えまわし、ガスの充満した部屋を描き、無様に死んでいる二人を他人の様に想像していた。

 久能が本当に死にかかったのはその初夏だった。職を求めるために無理をして、よい経過をとらなかったので、久能はその頃、治療費に窮して、三ツ木に紹介された医学生から薬をもらっていると、その不注意で余り薬が劇しすぎたため、排尿が困難になり、文字通り部屋中七転八倒して苦しんでいると、膀胱が破裂し、危篤に陥入った。久能は勿論、死を覚悟していた。若い精神の本能的な不透明さが遂に此処まで来たのを知って、すべてを何か知らぬが、大きなものの手に委ねつくして、あわてたり、わめいたりしようとしなかった。勿論、久能にしても、これからまだまだなし遂げたい仕事もあり、老母も気がかりであったが、今になっては戦い疲れていて、自分の死を比較的冷やかに待っていた。病室には三ツ木が蒼白になって付きそっていた。彼はどういう縁故からか、ある銀行に入りこみ、算盤も出来ないのでそこでは接待掛をやり、一朝、事ある時の警衛の役目も持ち、普断は箒をかかえて掃除役をしているのであったが、久能のいる病院に駈けつけて来て、彼の黒ずんで、全く弾力のない顔をみると、大変なことになったなあ、俺があんな男を紹介しなかったら、ちぇっと叫び、おい、久能、しっかりしてくれ、絶望じゃないぞ、手術の結果がいいそうだからと少しも答えない
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