それでも間違だらけで書きとられ、その次の頁から、原語だけは諦めたと見えて空白になっていた。繰り拡げている中に久能は羞かしさや、屈辱や、恐怖が湧いて来た。大垣で高利貸をしている青江の父や、玄人上りの、時々、株を張りに堂島に出かけていくという継母や、一眼で淫蕩を想像させる青江が自分の血に交ってくる予感! その押えきれない恐怖心で久能は青江を突き退け、僕のノートを汚さないで貰いたいなと震えた声音でいい、それだけでは不安を押えることも、怒りを相手に伝えることも出来ないという半ばは意識的な遣方で、いきなりばりばりと十二頁のノートを引きさいて、下へ持ってって下さいと青江の前に突き出すと、青江はかすかな冷笑で久能を見返し、なぜいけないの、というので、彼は、こんな字汚なくて読めない、と答え、久能さんの字だって綺麗な方じゃないわ、とやり返して来る青江に、僕の字はどんなに汚なくったって僕には読める、第一女の書いたノートを持って学校に行けるもんかと、突っぱなすと、青江は机の前に無表情に坐ったまま、頬に落ちて来る涙を頑くなに拭きもしないでいた。そうして向き合っていると、くやしいためなのか、圧迫されるためなのか、自然に眼頭が熱くなって、今にも弱身をみせそうになるので、自分の方から部屋を出ていき、夜の街を、暗いところ暗いところと歩みまわった。すると次第に青江が気の毒になり、自分の心の狭さが後悔され、ああ、あのまま知らぬ顔をしておれば、青江も喜ぶのだし、自分も労力を大分省けたものを、もっとずるくなって悉皆青江に写さして了えばいいものをと考え、遠くの何一つ本当の生活を知らない頼子に徒らな興味や尊敬をもちながら、近くで実際的な親切を尽して呉れる青江には何故こんなに冷淡なのだろう、青江の官能的な圧迫を一々悪意にとって彼女を苦しめるには当らないじゃあないか、自分は間違っている、青江にあやまろうと思っている中にまた、いや、僅かでも彼女を許せば、ずるずるっと彼女のとりこ[#「とりこ」に傍点]になって了うぞと怖ろしく感じ、とりとめなく歩きまわっていた。
その夜から再び青江は久能に冷淡になった。勿論その蔭には強烈な意識が針のように動いていた。お互の時間がかけ違っていて機会は滅多になかったが、出会っても、知らぬ顔をし、一緒に食事する時も一枚の板のような表情だった。
頼子から承諾の手紙が来た。同じ封筒、同じ芳香
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