ぷ》の御料牧場に行つて調べた時、馬の全數千七百餘頭――そのおもな種類はトロクー、ハクニー、サラブレド、クリブランドベー、トラケーネンなどが、競馬用にはサラブレドが最もよく、この種の第二スプーネー號と云ふのが園田實徳氏の一萬五千圓で買つた馬の父であつた。そのうちを馬舍から引き出して歩かして見せて呉れたが、それ/″\特色があつた。背の高いのや、毛艷のいいのや、姿勢の正しいのや、足の運びの面白いのや――して、アラビヤ種のすべて目が鋭く、涼しいのが、最も深い印象を僕に殘した。
周圍二十里、面積三萬三千二百町歩、放牧區域七十二區、各區をめぐる牧柵の延長七十里に達する大牧場――高臺の放牧地は、天然のままだが、造つた樣に出來てゐて、恰も間伐したかの如く、樹木がいい加減に合ひを置いて生えてゐる地上には、牧草が青々育つて、實に氣持ちのいい景色だ。
僕等は、行きには、その間を驛遞の痩せ馬に乘つて得意げに走つたが、立派な馬を澤山見た歸りには、一種の恥辱を感じて、逃げる樣にして驅け出した。
火山灰地の状態
日高の門別《もんべつ》村を東へ拔ける時、後ろを返り見ると、遙か西方に膽振《いぶり》の樽前《たるまへ》山の噴火が見えた。眞ッ直ぐに白い烟が立つてゐるかと思へば、直ぐまたその柱が倒れ崩れて、雲と見分けが附かなくなつた。
あれほど活氣ある火力を根としながらも、空天につッ立つた烟柱は周圍の壓迫に負けて倒れるのであるが、僕はその時地腹に隱れた火力を想像して見た。
がうッと一聲、物凄い響が僕のあたまの中でしたかと思ふと、その火山の大爆發當時のありさまが瞑目のうちに浮んだ。その時、西風が吹いてゐたのであらう、日高の方面へ向つてその噴出した熔岩の灰が雲と發散して、御空も暗くなるほどに廣がつた。
その結果が今僕の目を開いて見る火山灰地である。數百年もしくは數千年以前に出來た地層がまざまざ殘つてゐて、膽振から日高の一半に渡つて、地下六七寸乃至一尺のところに、五寸乃至一尺の火山灰層となつて、その白い線が土地の高低を切り開いた道路の左右に、郵便列車の中腹の赤筋の如く、くッきりと通つてゐる。
底本:「現代日本紀行文学全集 北日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岩野 泡鳴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング