」と、ぶつ真似《まね》をして、「はい、これでもうちへ帰ったら、お嬢さんで通せますよ」
「お嬢さん芸者万歳」と、僕は猪口をあげる真似をした。
三味《しゃみ》を弾《ひ》かせると、ぺこんぺこんとごまかし弾きをするばかり。面白くもないが、僕は酔ったまぎれに歌いもした。
「もう、よせよせ」僕は三味線を取りあげて、脇《わき》に投げやり、「おれが手のすじを見てやろう」と、右の手を出させたが、指が太く短くッて実に無格好であった。
「お前は全体いくつだ?」
「二十五」
「うそだ、少くとも二十七だろう?」
「じゃア、そうしておいて!」
「お父《とっ》さんはあるの?」
「あります」
「何をしている?」
「下駄屋《げたや》」
「おッ母さんは?」
「芸者の桂庵《けいあん》」
「兄《にい》さんは?」
「勧工場《かんこうば》の店番」
「姉さんは?」
「ないの」
「妹は?」
「芸者を引かされるはず」
「どこにつとめているの?」
「大宮」
「引かされてどうするの?」
「その人の奥さん」
「なアに、妾《めかけ》だろう」
「妾なんか、つまりませんわ」
「じゃア、おれの奥さんにしてやろうか?」と、からだを引ッ張ると、「はい、よろしく」と、笑いながら寄って来た。
四
翌朝、食事をすましてから、僕は机に向ってゆうべのことを考えた。吉弥が電燈の球に「やまと」のあき袋をかぶせ、はしご段の方に耳をそば立てた時の様子を見て、もろい奴《やつ》、見《み》ず転《てん》の骨頂だという嫌気《いやけ》がしたが、しかし自分の自由になるものは、――犬猫を飼ってもそうだろうが――それが人間であれば、いかなお多福でも、一層可愛くなるのが人情だ。国府津にいる間は可愛がってやろう、東京につれて帰れば面白かろうなどと、それからそれへ空想をめぐらしていた。
下座敷でなまめかしい声がして、だんだん二階へあがって来た。吉弥だ。書物を開らこうとしたところだが、まんざら厭な気もしなかった。
「田村先生、お早う」
「お前かい?」
「来たら、いけないの?」ぴッたり、僕のそばにからだを押しつけて坐った。それッきりで、目が物を言っていた。僕はその頸《くび》をいだいて口づけをしてやろうとしたら、わざとかおをそむけて、
「厭な人、ね」
「厭なら来ないがいい、さ」
「それでも、来たの――あたし、あなたのような人が好きよ。商売人?」
「ああ、商売人」
「どんな商売?」
「本書き商売」
「そんな商売がありますもんか?」
「まア、ない、ね」
「人を馬鹿にしてイるの、ね」と、僕の肩をたたいた。
僕を商売人と見たので、また厭気がしたが、他日わが国を風靡《ふうび》する大文学者だなどといばったところで、かの女《じょ》の分ろうはずもないから、茶化すつもりでわざと顔をしかめ、
「あ、いたた!」
「うそうそ、そんなことで痛いものですか?」と、ふき出した。卦算《けさん》の亀《かめ》の子をおもちゃにしていた。
「全体どうしてお前はこんなところにぐずついてるんだ?」
「東京へ帰りたいの」
「帰りたきゃア早く帰ったらいいじゃアないか?」
「おッ母さんにそう言ってやった、わ、迎えに来なきゃア死んじまうッて」
「おそろしいこッた。しかしそんなことで、びくつくおッ母さんじゃアあるまい」
「おッ母さんはそりゃアそりゃア可愛がるのよ」
「独《ひと》りでうぬぼれてやアがる。誰がお前のような者を可愛がるもんか? 一体お前は何が出来るのだ?」
「何でも出来る、わ」
「第一、三味線は下手《へた》だし、歌もまずいし、ここから聴いていても、ただきゃアきゃア騒いでるばかりだ」
「ほんとうは、三味線はきらい、踊りが好きだったの」
「じゃア、踊って見るがいい」とは言ったものの、ふと顔を見合わせたら、抱きついてやりたいような気がしたのを、しつッこいと思わせないため、まぎらしに仰向《あおむ》けに倒れ、両手をうしろに組んだまま、その上にあたまをのせ、吉弥が机の上でいたずらをしている横がおを見ると、色は黒いが、鼻柱が高く、目も口も大きい。それに丈《せい》が高いので、役者にしたら、舞台づらがよく利くだろうと思いついた。ちょっと断わっておくが、僕はある脚本――それによって僕の進退を決する――を書くため、材料の整理をしに来ているので、少くとも女優の独りぐらいは、これを演ずる段になれば、必要だと思っていた時だ。
「お前が踊りを好きなら、役者になったらどうだ?」
「あたい、賛成だ、わ。甲州にいた時、朋輩《ほうばい》と一緒に五郎、十郎をやったの」
「さぞこの尻が大きかっただろう、ね」うしろからぶつと、
「よして頂戴よ、お茶を引く、わ」と、僕の手を払った。
「お前が役者になる気なら、僕が十分周旋してやらア」
「どこへ、本郷座? 東京座? 新富座《しんとみざ》?」
「どこでもいいや、ね、それは僕の胸にあるんだ」
「あたい、役者になれば、妹もなりたがるにきまってる。それに、あたいの子――」
「え、お前の子供があるんか?」
「もとの旦那《だんな》に出来た娘なの」
「いくつ?」
「十二」
「意気地《いくじ》なしのお前が子までおッつけられたんだろう?」
「そうじゃアない、わ。青森の人で、手が切れてからも、一年に一度ぐらいは出て来て、子供の食い扶持《ぶち》ぐらいはよこす、わ。――それが面白い子よ。五つ六つの時から踊りが上手《じょうず》なんで、料理屋や待合から借りに来るの。『はい、今晩は』ッて、澄ましてお客さんの座敷へはいって来て、踊りがすむと、『姉さん、御祝儀《ごしゅうぎ》は』ッて催促するの。小癪《こしゃく》な子よ。芝居は好きだから、あたいよく仕込んでやる、わ」
吉弥はすぐ乗り気になって、いよいよそうと定《き》まれば、知り合いの待合や芸者屋に披露《ひろう》して引き幕を贈ってもらわなければならないとか、披露にまわる衣服《きもの》にこれこれかかるとか、かの女も寝ころびながら、いろいろの注文をならべていたが、僕は、その時になれば、どうとも工面《くめん》してやるがと返事をして、まず二、三日考えさせることにした。
五
それからというもの、僕は毎晩のように井筒屋へ飲みに行った。吉弥の顔が見たいのと、例の決心を確かめたいのであったが、当人の決心がまず本統らしく見えると、すぐまた僕はその親の意見を聴きにやらせた。親からは近々《ちかぢか》当地へ来るから、その時よく相談するという返事が来たと、吉弥が話した。僕一個では、また、ある友人の劇場に関係があるのに手紙を出し、こうこういう女があって、こうこうだと、その欠点と長所とを誇張しないつもりで一考を求め、遊びがてら見に来てくれろと言っておいたら、ついでがあったからと言って出て来てくれた。吉弥を一夕友人に紹介したが、もう、その時は僕が深入りし過ぎていて、女優問題を相談するよりも、二人ののろけを見せたように友人に見えたのだろう。僕よりもずッと年若い友人は、来る時にも「田村先生はいますか」というような調子でやって来て、帰った時にはその晩の勘定五円なにがしを払ってあったので、気の毒に思って、僕はすぐその宿を訪うと、まだ帰らないということであった。どこかでまた焼け酒を飲んでいるのだろうと思ったから、その翌朝を待って再び訪問すると、もう出発していなかった。僕は何だか興ざめた気がした。それから、一週間、二週間を経ても、友人からは何の音沙汰《おとさた》もなかった。しかし、僕は、どんな難局に立っても、この女を女優に仕立てあげようという熱心が出ていた。
六
僕は井筒屋の風呂《ふろ》を貰《もら》っていたが、雨が降ったり、あまり涼しかったりする日は沸《た》たないので、自然近処の銭湯に行くことになった。吉弥も自分のうちのは立っても夕がたなどで、お座敷時刻の間に合わないと言って、銭湯に行っていた。僕が行くころには吉弥も来た、吉弥の来るころには僕も行った。別に申し合わせたわけでもなかったが、時々は向うから誘うこともあった。気がつかずにいたが、毎度風呂の中で出くわす男で、石鹸《しゃぼん》を女湯の方から貰って使うのがあって、僕はいつも厭な、にやけた奴だと思っていた。それが一度向うからあまり女らしくもない手が出て、
「旦那、しゃぼん」という声が聴《きこ》えると、てッきり吉弥の声であった。男はいつも女湯の方によって洗っていた。
このふたりは湯をあがってからも、必らず立ち話した。男は腰巻き一つで、うちわを使いながら、湯の番人の坐っている番台のふちに片手をかけて女に向うと、女はまた、どこで得たのか、白い寒冷紗《かんれいしゃ》の襞《ひだ》つき西洋寝巻きをつけて、そのそばに立ちながら涼んでいた。湯あがりの化粧をした顔には、ほんのりと赤みを帯びて、見ちがえるほど美しかった。
ほかにも芸者のはいりに来ているのは多いが、いつも目に立つのはこの女がこの男と相対してふざけたり、笑ったりしていたことである。はじめはこの男をひいきのお客ぐらいにしか僕は思っていなかったが、石鹸事件を知ったので、これは僕の恋がたきだと思った。否、恋がたきとして競争する必要もないが、吉弥が女優になりたいなどは真ッかなうそだと合点《がてん》した。急に胸がむかむかとして来ずにはいられなかった。その様子がかの女には見えたかも知れないが、僕はこれを顔にも見せないつもりで、いそいで衣服《きもの》をつけてそこを出た。しまったと後悔したのは、出口の障子をつい烈《はげ》しくしめたことだ。
きょうは早く行って、あの男またはその他の人に呼ばれないうちに、吉弥めをあげ、一つ精一杯なじってやろうと決心して、井筒屋へ行った。湯から帰ってすぐのことであった。
「叔母《おば》さん」僕もここの家族の言いならしに従って、お貞婆アさんをそう呼ぶことにしたのだ!――
「きょうは今から吉弥さんを呼んで、十分飲みますぞ」
「毎度御ひいきは有難うございますけれど、先生はそうお遊びなさってもよろしゅうございますか?」
「なアに、かまいませんとも」
「しかし、まだ奥さんにはお目にかかりませんけれど、おうちでは独りでご心配なさっておられますよ。それがお可哀そうで」
「かかアは何も知ってませんや」
「いいえ、先生のようなお気質では、つれ添う身になったら大抵想像がつきますもの」
「よしんば、知れたッてかまいません」
「先生はそれでもよろしかろうが、私どもがそばにいて、奥さんにすみません」
「心配にゃア及びません、さ」景気よくは応対していたものの、考えて見ると、吉弥に熱くなっているのを勘づいているので、旦那があるからとてもだめだという心をほのめかすのではないかとも取れないことではない。また、一方には、飲むばかりで借りが出来るのを、もし払われないようなことがあってはと心配し出したのではないかとも取れた。僕はわざと作り笑いをもって平気をよそい、お貞やお君さんや正ちゃんやと時間つぶしの話をした。吉弥がまだ湯から帰らないのをひそかに知っていたからだ。
「吉弥は風呂に行ってまだ帰りませんが――もう、帰りそうなものだに、なア」と、お貞はお君に言った。
「もう、一時間半、二時間にもなる」と、正ちゃんが時計を見て口を出した。
「また、あの青木と蕎麦屋《そばや》へ行ったのだろう」お君が長い顎《あご》を動かした。蕎麦屋と聴けば、僕も吉弥に引ッ込まれたことがあって、よく知っているから、そこへ行っている事情は十分察しられるので、いいことを聴かしてくれたと思った。しかし、この利口ではあるが小癪な娘を、教えてやっているが、僕は内心非常に嫌いであった。年にも似合わず、人の欠点を横からにらんでいて、自分の気に食わないことがあると、何も言わないで、親にでも強く当る。
「気が強うて困ります」とは、その母が僕にかつて言ったことだ。まして雇い人などに対しては、最も皮肉な当り方をするので、吉弥はいつもこの娘を見るとぷりぷりしていた。その不平を吉弥はたびたび僕に漏らすことがあった。もっとも、お君さんをそういう気質に育てあげたのは、もとはと言えば、親たちが悪いのらしい。世間の評判を聴くと、ま
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