取り返し談判をした。
「男が一旦《いったん》やろうと言ったもんだ!」
「わけなくやったのではない!」
「さんざん人をおもちゃにしゃアがって――貰った物ア返しゃアしない!」
「何だ、この薄情女め!」
 無理に奪い取ろうとする、取られまいとする。追ッかけられて、二階の段を下り、化粧部屋の口で、とッつかまると、男は女の帯の間へ手をつッ込む。そうさせまいと、悶《もが》いても女の力及ばずと見たのだろう、「じゃア、やるから待ちゃアがれ!」みずから帯の間から古い黄金を取り出し、「ええッ、拾って行きゃアがれ」と、ほうりつけ、「畜生、そんな物ア手にさわるのも穢《けが》れらア!」
 僕の妻はちょうど井筒屋へ行っていたので、この芝居を、炉のそばで、家族と一緒に見たと言う。
「もう、二度とこんな家へ来やせんぞ」と、青木は投げられた物を手に取り、吉弥をにらんで帰って行った。
「泥棒じじい!」
 吉弥は片足を一歩踏み出すと同時に、あごをもよほど憎らしそうに突き出して、くやしがった。その様子が大変おかしかったので、一同は言い合わせたように吹き出した。かの女もそれに釣《つ》り込まれて、笑顔を向け、炉のそばに来て座を取った。
 薬罐《やかん》のくらくら煮立っているのが、吉弥のむしゃくしゃしているらしい胸の中をすッかり譬《たと》えているように、僕の妻には見えた。
 大きな台どころに大きな炉――くべた焚木《まき》は燃えていても、風通しのいいので、暑さはおぼえさせなかった。
「けちな野郎だ、なア?」お貞はこう言って、吉弥を慰めた。
「横つらへ投げつけてやったらよかったのに」と、正ちゃんも吉弥の肩を持った。
「きイちゃんの様子ッたら、なかった」と、お君が言ったので、一同はまた吹き出した。
「どうせ、あたいが馬鹿なんですから、ね」吉弥は横を向いた。
「一体どうしたわけなの?」僕の妻は仲裁的に口を出した。
「くれたもんを取り返しに来たの」
「あまりだますから、おこったんだろう?」
「だまされるもんが悪いのよ」
「そう?」妻は自分の夫もだまされているのだと思ってきまりが悪くなったが、すぐ気を変えて、冷かし半分に、「可哀そうに、貰ったと思ったら、おお損《ぞん》をした、わ、ね」
「ほんとに」と、吉弥も笑って、「指輪に拵《こさ》えてやろうと思ってたら、取り返されてしまった」
 こういう話をしているうち、吉弥のお袋が一人の女をつれてやって来た。吉弥は僕の方もまた出来なくなるかと疑って、浅草へ電報を打ったので、今度はお袋が独りでやって来たのだ。つれた女は芸者の候補者だ。
 お君が一座の人々をぎろぎろ見くらべているところで、お袋はお貞と吉弥とから事情を聴き、また僕の妻にも紹介された。妻もまたお袋にその思ったことや、将来の吉弥に対する注文やを述べたり、聴き糺《ただ》したりした。期せずして真面目な、堅苦しい会合となった。お袋は不安の状態を愛想笑いに隠していた。
 その間に、吉弥はどこかへ出て行った。あちらこちらで借り倒してある借金を払いに行ったのである。
 主人がその代りに会合に加わって、
「もう、何とか返事がありそうなものですが――」
「そうです、ねえ」と、僕の妻は最終の責任を感じて、異境の空に独りぼっちの寂しさをおぼえた。僕は、出発の当時、井筒屋の主人に、すぐ、僕が出直して来なければ、電報で送金すると言っておいたのだ。
 先刻から、正ちゃんもいなくなっていたが、それがうちへ駆けつけて来て、
「きイちゃんが、今、方々の払いをしておる」と、注進した。
「じゃア、電報がわせで来たんでしょう?」と、僕の妻は思わず叫んだ。
「そりゃア、いかん、呼んで来ねば」と、主人は正ちゃんをつれて大いそぎで出て行き、やがて吉弥を呼び返して来た。
「かわせが来たんですか?」と、妻はおこった様子。
「ええ」と、吉弥はしょげていた。
「じゃア、そう言ってくれないじゃア困ります、わ」
「出してお見」と、主人が仲にはいって調べて見ると、もう、二、三十円は払いに使ってあった。僕が直接に送ったのが失敗なのだ。
 それから、妻と主人とお袋とで詳しい勘定をして、僕の宿料やら、井筒屋へ渡す分やらを取って行くと、吉弥のだらしなく使ったそとの借金ぐらいはなお払えるほど残った。しかし、それも僕のうなぎ屋なぞへ払う分にまわった。
「お客さんの分まで払うのア馬鹿馬鹿しい、わ」と、吉弥は自分の金でも取り扱うようなつもりでいた。
 僕の妻は、そんなわけの物ではないということを――どんな理由でだか、そこまでは僕に報告しなかったが――説き聴かせ、お袋に談判して、吉弥のそとの借金だけはお袋が引き受けることにして、すぐ浅草へ取り寄せの電報を打たせた。

     二三

 その晩、僕の妻のところへ、井筒屋から御馳走を送って来たし、またお袋と吉称と新芸
前へ 次へ
全30ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岩野 泡鳴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング