れているのかと思うと、帰りたくならないではなかったが、しかしまた吉弥のことをつき止めなければ帰りたくない気もした。様子ではどうせ見込みのない女だと思っていても、どこか心の一隅《ひとすみ》から吉弥を可愛がってやれという命令がくだるようだ。どうともなるようになれ、自分は、どんな難局に当っても、消えることはなく、かえってそれだけの経験を積むのだと、初めから焼け気味のある僕だから、意地にもわざと景気のいい手紙を書き、隣りの芸者にはいろいろ世話になるが、情熱のある女で――とは、そのじつ、うそッ鉢《ぱち》だが――お前に対するよりもずッと深入りが出来ると、妻には言ってやった。
 その手紙を出しに行った跡へ、吉弥はお袋をつれて僕の室へあがっていた。
「先生、母ですよ」
「そう――おッ母さんですか」と、僕は挨拶をした。
「お留守のところへあがり込んで、どうも済みませんが、娘がいろいろお世話になって」と、丁寧にさげたあたまを再びあげるところを見ると、心持ちかは知らないが、何だか毒々しいつらつきである。からだは、その娘とは違って、丈が低く、横にでぶでぶ太って、豚の体に人の首がついているようだ。それに、口は物を言うたんびに横へまがる。癇《かん》のためにそう引きつるのだとは、跡でお袋みずからの説明であった。
 これで国府津へは三度目だが、なかなかいいところだとか、僕が避暑がてら勉強するには持って来いの場所だとか、遊んでいながら出来る仕事は結構で羨《うらや》ましいとか、お袋の話はなかなかまわりくどくって僕の待ち設けている要領にちょっとはいりかねた。
 吉弥は、ただにこにこしながら、僕の顔とお袋の顔とを順番に見くらべていたが、退屈そうにからだを机の上にもたせかけ、片手で机の上をいじくり出した。そして、今しがた僕が読んで納めた手紙を手に取り、封筒の裏の差出し人の名を見るが早いか、ちょっと顔色を変え、
「いやアだ」と、ほうり出し、「奥さんから来たのだ」
「これ、何をします!」お袋は体よくつくろって、「先生、この子は、ほんとうに、人さまに失礼ということを知らないで困るんですよ」
「なアに」僕は受けたが、その跡はどうあしらっていいのだか、ちょっとまごついた。止むを得ず、「実は」と、僕の方から口を切って、もし両親に異議がないなら、してまた本人がその気になれるなら、吉弥を女優にしたらどうだということを勧め、 
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