主人の姉と芸者とが加わっていた。主人夫婦はごくお人よしで家業大事とばかり、家の掃除と料理とのために、朝から晩まで一生懸命に働いていた。主人の姉――名はお貞《さだ》――というのが、昔からのえら物《ぶつ》で、そこの女将たる実権を握っていて、地方有志の宴会にでも出ると、井筒屋の女将お貞婆さんと言えば、なかなか幅が利《き》く代り、家にいては、主人夫婦を呼び棄《す》てにして、少しでもその意地の悪い心に落ちないことがあると、意張《いば》りたがるお客が家の者にがなりつくような権幕であった。
お君というその姪《めい》、すなわち、そこの娘も、年は十六だが、叔母《おば》に似た性質で、――客の前へ出ては内気で、無愛嬌《ぶあいきょう》だが、――とんまな両親のしていることがもどかしくッて、もどかしくッてたまらないという風に、自分が用のない時は、火鉢《ひばち》の前に坐《すわ》って、目を離さず、その長い頤《あご》で両親を使いまわしている。前年など、かかえられていた芸者が、この娘の皮肉の折檻《せっかん》に堪えきれないで、海へ身を投げて死んだ。それから、急に不評判になって、あの婆さんと娘とがいる間は、井筒屋へは行ってやらないと言う人々が多くなったのだそうだ。道理であまり景気のいい料理店ではなかった。
僕が英語が出来るというので、僕の家の人を介して、井筒屋の主人がその子供に英語を教えてくれろと頼んで来た。それも真面目《まじめ》な依頼ではなく、時々西洋人が来て、応対に困ることがあるので、「おあがんなさい」とか、「何を出しましょう」とか、「お酒をお飲みですか、ビールをお飲みですか」とか、「芸者を呼びましょうか」とか、「大相|上機嫌《じょうきげん》です、ね」とか、「またいらっしゃい」とか、そういうことを専門に教えてくれろと言うのであった。僕は好ましくなかったが、仕事のあいまに教えてやるのも面白いと思って、会話の目録を作らして、そのうちを少しずつと、二人がほかで習って来るナショナル読本の一と二とを読まして見ることにした。お君さんとその弟の正《しょう》ちゃんとが毎日午後時間を定めて習いに来た。正ちゃんは十二歳で、病身だけに、少し薄のろの方であった。
ある日、正ちゃんは、学校のないので、午前十一時ごろにやって来た。僕は大切な時間を取られるのが惜しかったので、いい加減に教えてすましてしまうと、
「うちの芸者も
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