耽溺《たんでき》
岩野泡鳴
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)国府津《こうづ》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)大相|上機嫌《じょうきげん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
本作品では字下げ位置の説明で用いている
(例)[#ここから一字下げ]
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一
僕は一夏を国府津《こうづ》の海岸に送ることになった。友人の紹介で、ある寺の一室を借りるつもりであったのだが、たずねて行って見ると、いろいろ取り込みのことがあって、この夏は客の世話が出来ないと言うので、またその住持《じゅうじ》の紹介を得て、素人《しろうと》の家に置いてもらうことになった。少し込み入った脚本を書きたいので、やかましい宿屋などを避けたのである。隣りが料理屋で芸者も一人かかえてあるので、時々客などがあがっている時は、随分そうぞうしかった。しかし僕は三味線《しゃみせん》の浮き浮きした音色《ねいろ》を嫌《きら》いでないから、かえって面白いところだと気に入った。
僕の占領した室は二階で、二階はこの一室よりほかになかった。隣りの料理屋の地面から、丈《せい》の高いいちじくが繁《しげ》り立って、僕の二階の家根《やね》を上までも越している。いちじくの青い広葉はもろそうなものだが、これを見ていると、何となくしんみりと、気持ちのいいものだから、僕は芭蕉葉《ばしょうば》や青桐《あおぎり》の葉と同様に好きなやつだ。しかもそれが僕の仕事をする座敷からすぐそばに見える。
それに、その葉かげから、隣りの料理屋の綺麗《きれい》な庭が見える。燈籠《とうろう》やら、いくつにも分岐《ぶんき》した敷石の道やら、瓢箪《ひょうたん》なりの――この形は、西洋人なら、何かに似ていると言って、婦人の前には口にさえ出さぬという――池やら、低い松や柳の枝ぶりを造って刈り込んであるのやら例の箱庭式はこせついて厭《いや》なものだが、掃除のよく行き届いていたのは、これも気持ちのいいことの一つだ。その庭の片端の僕の方に寄ってるところは、勝手口のあるので、他の方から低い竹垣《たけがき》をもって仕切られていて、そこにある井戸――それも僕の座敷から見える――は、僕の家の人々もつかわせてもらうことになっている。
隣りの家族と言っては、主人夫婦に子供が二人、それに
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