の結果、相當の冒險であつたけれども蓄電池自動車の電池を作つて見た所、結果は比較的早く改良されて東京芝浦に蓄電池試作研究所を作る事に致しました。
又發明協會に於ては從來の化學者が絶對に不賛成であると云ふ點を拔山博士が或る理由に基き試驗して見た所、從來のものより一割程度輕く、振動に強く而も短時間の大きな放電に良い特性を持つた優秀なものが出來る樣になりました。今囘當社は帝國發明協會から蓄電池製作の權利を讓り受け、蓄電池製作を開始すると同時に、全然新しい設備によるモーター及びシヤシーの製作を開始いたしました。勿論この蓄電池を以て最後のものとせず、今後益々研究せねばなりませんが、現在の非常時局に際しガソリン節約の點からも多少なりとも實用化し得ると思ひます。當社は燃料國策の立場から率先して或る程度の犧牲を覺悟の上蓄電池自動車の製作に着手しましたが、製品は來春發表の豫定であります。
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底本:「豊田喜一郎文書集成」名古屋大学出版会
1999(平成11年)年4月15日初版発行
初出:「モーター」
1939(昭和14年)年11月号
入力:sogo
校正:川山隆
2008年10月19日作成
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