に帽子をとれ
へとへとにつかれながら而も壯麗に生きてゐる大都市
此の中央大十字街
その感覺はくもの巣のやうな大路小路にひろがり
ひろいひろい郊外に露出して顫へ
其處で何でもかでも鋭敏に感じてゐる神經
どんなものでもひつ掴まうとしてゐる神經
その尖端のおそろしさよ
ポプラの詩
すんなりと正しくのび
うすいみどりの葉をつけた
高臺のポプラの木
その附近《あたり》から
みえる遠方はなつかしい
一本すんなり立つてゐても
五本六本列んでゐても
此の木ばかりはすつきりしてゐる
そよ風にこれがひらひらするのをみてゐると
わたしはたまらなくなる
ああ此の木のやうな心持
怖しい敏感なポプラ
冬のをはりにもう芽ぶき
秋には入るとすぐ落葉《おちば》する
ああポプラ
これこそ光線の愛する木だ
子どもらは此の木のしたで遊ばせろ
風の方向がかはつた
どこからともなく
とんできた一はのつばめ
燕は街の十字路を
直角にひらりと曲つた
するといままでふいてゐた
北風はぴつたりやんで
そしてこんどはそよそよと
どこかでゆれてゐる海草《うみくさ》の匂ひがかすかに一めんに
街街家家をひたした
ああ風の方向がすつかりかはつた
併しそれは風の方向ばかりではない
妻よ
ながい冬ぢうあれてゐた
おまへのその手がやはらかく
しつとりと
薄色をさしてくるさへ
わたしにはどんなによろこばしいことか
それをおもつてすら
わたしはどんなに子どもになるか
翼
よろこびは翼のやうなものだ
よろこびは人間をたかく空中へたづさへる
海のやうな都會の天《そら》
そこで悠悠と大きなカーヴを描いてゐる一羽の鳶
なんといふやすらかさだ
それをみあげてゐるひとびと
彼等の肩には光る翼がひらひらしてゐる
うたがつてはならない
彼等はなんにも知らないのだが
見えない翼はその踵にもひらひらしてゐる
針
子どもの寢てゐるかたはらで
その母はせつせと着物を縫つてゐる
一つの手が拍子をとつてゐるので
他の手はまるで尺取蟲のやうにもくもくと
指さきの針をすすめてゆく
目は目でまばたきもしないで凝《じつ》とそれを見てゐる
音すら一つかたともせず
夜はふけてゆく
なんといふしづかなことだ
子どもの寢息もすやすやと
針は自然にすすんで行く
むしろ針は一すぢの絲を引いて走つてゐるやうだ
としよつた農夫は斯う言つた
あの頃からみればなにもかもがらりとかはつた
だがいつみてもいいのは
此のひろびろとした大空だけだぞい
わすれもしねえ
この大空にまん圓い月がでると
穀倉のうしろの暗い物蔭で
俺等《おいら》はたのしい逢引をしたもんだ
そこで汝《われ》あみごもつたんだ
何をかくすべえ
穀倉がどんな事でも知つてらあ
さうして草も燒けるやうな炎天の麥畑で
われあ生み落とされたんだ
それもこれもみんな天道樣がご承知の上のこつた
おいらはいつもかうして貧乏だが
われは秣草《まぐさ》をうんと喰らつた犢牛《こうし》のやうに肥え太つてけつかる
犢牛のやうに強くなるこつた
うちの媼《ばばあ》もまだほんの尼つちよだつた
その抱き馴れねえ膝の上で
われあよく寢くさつた
それをみるのが俺等《おいら》はどんなにうれしかつたか
そして目がさめせえすれば
山犬のやうに吼えたてたもんだ
其處にはわれが目のさめるのを色色《いろん》な玩具《おもちや》がまつてただ
なんだとわれあおもふ
そこのその大きな鍬だ
それから納屋にあるあの犁と
壁に懸つてゐるあの大鎌だ
さあこれからは汝《われ》の番だ
おいらが先祖代代のこの荒れた畑地を
われあそのいろんなおもちやで
立派に耕作《つく》つてくらさねばなんねえ
われあ大《でけ》え男になつた
そこらの尼つ子がふりけえつてみるほどいい若衆《わけえしゆ》になつた
おいらはそれを思ふとうれしくてなんねえ
しつかりやつてくれよ
もうおいらの役はすつかりすんだやうなもんだが
おいらはおいらの蒔きつけた種子《たね》がどんなに芽ぶくか
それが唯《たつた》一つの氣がかりだ
それをみてからだ
それをみねえうちは誰がなんと言はうと
決して此の目をつぶるもんでねえだ
よい日の詩
どこをみても木木の芽は赤らみ
すつかり赤らみ
枯葉の下から草も青青と
そしてしつとり濡れた木の下枝では
どこからともなく集つてきた鶸やのじこ[#「のじこ」に傍点]が囀つてゐる
何といふ善い日であらう
友達の花嫁のまめまめしい働きぶりをみてきた私の目のかわゆらしさよ
何がそんなにうれしいのか
お太陽樣《てんたうさま》もみていらつしやる通り
此の山みちで
私はすこし醉つてをります
朝朝のスープ
其頃の自分はよほど衰弱してゐた
なにをするのも物倦く
なにをしてもたのしくなく
家の内の日日に重苦しい空氣は子どもの顏色をまで憂鬱にしてきた
何時もの貧しい食卓に
或る朝、珍しいスープがでた
それをはこぶ妻の手もとは震へてゐたが
その朝を自分はわすれない
その日は朝から空もからりと晴れ
匙まで銀色にあたらしく
その匙ですくはれる小さい脂肪の粒粒は生きてきらきら光つてゐた
それを啜るのである
それを啜らうと瀬戸皿に手をかけて
窶れてゐる妻をみあげた
其處に妻は自分を見まもつてゐた
目と目とが何か語つた
そして傍にさみしさうに座つてゐる子どもの上に
言ひあはせたやうな視線を落した
其の時である
自分は曾て自分の經驗したことのない
大きな強いなにかの此身に沁みわたるのを感じた
終日、地上の萬物を温めてゐた太陽が山のかなたにはいつて
空が夕燒で赤くなると
妻はまた祈願でもこめに行くやうなうしろすがたをして街にでかけた
食卓にはさうして朝毎にスープが上《のぼ》つた
自分は日に日に伸びるともなく伸びるやうな草木の健康を
妻と子どもと朝朝のスープの愛によつて取り返した
長い冬の日もすぎさつて
家の内はふたたび青青とした野のやうに明るく
子どもは雲雀《ひばり》のやうに囀りはじめた
或る時
よろこびはまづ葱や菜つぱの搖れるところからはじまつて
これから……
※[#ローマ数字3、1−13−23]
其處に何がある
足もとの地面を見つめてかんがへてばかりゐる人間の腰ははやく彎曲《まが》る
いたづらに嘆き悲しんではならない
兄弟よ
あたまの上には何があるか
樹木のやうに眞直《まつすぐ》立て
そして垂れた頭をふりあげて高く見上げろ
其處に何がある
この大きな青空はどうだ
人間はこの青空をわすれてゐるのだ
兄弟よ
この大きな青空はどうだ
憂鬱な大起重機の詩
ぐつと空中に突きだした
腕《うで》だと思へ
いま大起重機は動いた
重い大きなまつ黒いものをひつ掴んで
それを輕輕と地面から空中へひき上げた
微風すらない
此の靜謐をなんと言はうか
怖しいやうな日和だ
蟻のやうに小さく
大きな重いものの取去られたところに群がつて
うようよ蠢動《うごめ》いてゐる人人
大起重機のたしかな力をみろ
その大浪のやうな運動を
その大きな沈默を
ああ大起重機の憂鬱!
ああ大起重機の怪物!
此の不可思議な怪力に信頼しろ
それの動いて行く方向をみつめて大空を仰いでゐる人人
それを据附けたのは何ものだ
それをこしらへたのはどの手だ
それを考へれば
ああこれは人間以上の人間|業《わざ》だとすぐ解ることだ!
人間は自然を征服した!
今こそ人間は一切の上に立つべきだ
太陽も眩暈《めくる》めくか
ああ人間は自然を征服したか
ああ
けれど人間は悲しい
此の大起重機にその怪力を認めた瞬間から
まつたく憐れな奴隷となつた
そして蟻のやうに小さくなつた
それがどうした
それがどうした
かんかん日の照る地球の一てんに跪坐《ひざまづ》いて此の大怪物を禮拜しろ
ああ此の憂鬱な大起重機の壯麗!
ああ此の憂鬱な大起重機の無言!
耳をもつ者に聞かせる詩
これが神の意志だ
この力の觸れるところ
すべては碎け
すべて微塵となる
高高とどんな物でもさしあげ、ふりあげる此の腕
そこに此の世界を破壞する憂鬱な力がこもつてゐるのだ
娘つ子はこんな腕でだき緊められろ
人形のやうな目のぱつちりしたあかんぼ[#「あかんぼ」に傍点]に
むくむくと膨くれた乳房が吸はせてみたくはないか
それも神の意志だ
これも神の意志だ
言へ
自分達こそ男と女の神樣なんだと
人間に與へる詩
そこに太い根がある
これをわすれてゐるからいけないのだ
腕《うで》のやうな枝をひき裂き
葉つぱをふきちらし
頑丈な樹幹《みき》をへし曲げるやうな大風の時ですら
まつ暗な地べたの下で
ぐつと踏張《ふんば》つてゐる根があると思へば何でもないのだ
それでいいのだ
そこに此の壯麗がある
樹木をみろ
大木《たいぼく》をみろ
このどつしりとしたところはどうだ
わすれられてゐるものについて
君達はひつ提げてゐる
各自《てんで》に槓杆《てこ》よりも立派な腕を
石つころをも碎く拳を
これはまたどうしたものだ
それで人間をとり返へさうとはしないのか
全くそれを忘れてゐる
そして馬鹿だと罵られてゐる
鐵のやうな腕と拳と
金錢《かね》で賣買のできない武器とは此のことだ
それは他人には何の役にも立たない各自のもので
君達に最初さういふ唯一の尊い武器をくだすつたのは神樣だが
それをまるで薪木《たきぎ》にもならないものだと嘲つて棄てさせようとした惡漢《わるもの》は誰だ
だが考へてみれば
馬鹿だと言はれる君達よりも
君達を馬鹿だといふ奴等の方がよつぽど馬鹿なんだ
いまに君達がひつ提げながらも忘れてゐるその腕と拳とをおもひだす時
其時、一人が千人萬人になるんだ
其時、彼奴等《きやつら》は地べたにへたばるんだ
まあいいさ
何もかも神樣がごぞんじでいらつしやることだ
さうして其時、世界が息を吹返すんだ
寢てゐる人間について
みろ
何といふ立派な骨格だ
そしてこの肉づきは
かうしてすつぱだかで
ごろりとねてゐるところはまるで山だ
すやすやと呼吸するので
からだは山のうねりを打つ
ようくお寢《やす》み
ようくおやすみ
ゆふべの泥醉《ゑひ》がすつかりさめて
ぱつちりと鯨のやうな目があいたら
かんかん日の照るこの大地を
しつかり
しつかり
ふみしめて
またはたらくのだ
ようくおやすみ
おお寢てゐる人間のもつてゐる此の偉大
おおびくともしない此の偉大
それをみてゐると
自《おのづか》らあたまが垂れる
子どもは泣く
子どもはさかんに泣く
よくなくものだ
これが自然の言葉であるのか
何でもかでも泣くのである
泣け泣け
たんとなけ
もつとなけ
なけなくなるまで泣け
そして泣くだけないてしまふと
からりと晴れた蒼天のやうに
もうにこにこしてゐる子ども
何といふ可愛らしさだ
それがいい
かうしてだんだん大きくなれ
かうしてだんだん大きくなつて
そしてこんどはあべこべに
泣く親達をなだめるのだ
ああ私には眞實に子どものやうに泣けなくなつた
ああ子どもはいい
泣けば泣くほどかはゆくなる
※[#ローマ数字4、1−13−24]
人間の午後
まだそこで
わめきうめいてゐるのか
ヴアヰオリン
何といふ重苦しい日だ
黒黒と吐かれる煤烟
大きなけむだし[#「けむだし」に傍点]の彼方に太陽はおちて行く
此の憂鬱のどん底で
うごめいてゐる生きものに幸あれ
祈祷の一ばんはじめの言葉
主よ、人間のくるしみはひまはり[#「ひまはり」に傍点]よりもうつくしい
雨の詩
ひろい街なかをとつとつと
なにものかに追ひかけられてでもゐるやうに驅けてゆくひとりの男
それをみてひとびとはみんなわらつた
そんなことには目もくれないで
その男はもう遠くの街角を曲つてみえなくなつた
すると間もなく
大粒の雨がぽつぽつ落ちてきた
いましがたわらつてゐたひとびとは空をみあげて
あわてふためき
或るものは店をかたづけ
或るものは馬を叱り
或るものは尻をまくつて逃げだした
みるみる雨は横ざまに
煙筒も屋根も道路もびつしよりとぬれてしまつた
そしてひとしきり
街がひつそりしづかになると
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