てやすまず
一生に二どと通らぬみちなのだからつつしんで
自分は行かうと思ふと

  歩行

天上で
まづ太陽がそれをみてゐる
草木がみてゐる
蝶蝶やとんぼ[#「とんぼ」に傍点]がみてゐる
わんわん[#「わんわん」に傍点]がみてゐる
あかんぼがよたよたと歩いてゐるのを
ここは路側《みちばた》である
そのあかんぼからすこしへだたつて
手を拍つてよんでゐるのは母である
かうしてあゆみををしへてゐる
かうしてあかんぼはだんだんと大きくなり
そして強くなり
やがてひとりで人間の苦しい道をもゆくやうになるのだ
おおよたよたと
赤い小さな靴をはき
あんよする
あんよする
お友達がみんなみてゐるのだから
ころんではいけません
此の可愛らしさ
みよ
而も大地を確りとふみしめて

  家族

わたしの家は庭一ぱいの雜草だ
わたしは雜草を愛してゐる
まるで草つぱらにあるやうなわたしの家にも冬が來た
鋼鐵《はがね》のやうな日射の中で
いのちの短いこほろぎ[#「こほろぎ」に傍点]がせはしさうにないてゐた
わたしらはそのこほろぎ[#「こほろぎ」に傍点]と一しよに生きてゐるのだ

日一日と大氣は水のやうに澄んでくる
いまはよるもよなかだが
こほろぎ[#「こほろぎ」に傍点]はしきりにないてゐる
わたしは寢床《ねどこ》の上ではつきりと目ざめた
子どもを見ると
子どもはしつかりその母に獅噛みついてゐるではないか
そしてぐつすりねこんでゐる
おお、妻よ
お前もそこでねむれないのか
しんしんと沁み徹るこの冷氣はどうだ
もつとおより
一ツ塊《かたま》りになるまで

  薄暮の祈り

此のすわり
此の靜かさよ
而もどつしりとした重みをもつて林檎はまつかだ
まつかなりんご
りんごをじつとみてゐると
ほんとに呼吸をしてゐるやうだ
ねむれ
ねむれ
やせおとろへてはゐるけれど
此の掌《て》の上でよくねむれ
此のおもみ
此の力のかたまり
うつくしいのは愛だ
そして力だ

林檎一つ
ひたすらに自分は祈る
ましてこのたそがれの大なる深さにあつて
しみじみとりんごは一つ
りんごのやうに自分達もあれ
此の眞實に生きよう

[#ここから横組み]
[#ここから1字下げ]
“〔Die Humanita:t erst bringt klarheit u:ber die Menschenwelt, und von da aus auch u:ber die Go:tterwelt〕”
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]―H.Cohen
[#ここで横組み終わり]

[#ここに土田杏村の「跋」入る]

  後より來る者におくる

子ども等よ
いまは頭も白髮《しらが》となり
骨が皮をかぶつたやうな體躯《からだ》を
漸く杖でささへて
消えかかつた火のやうに生きてゐるお前達のお爺さんを見な
あれでも昔は若くつて大膽で
君等のお父さん達が
いま鍬鎌を振りまはして田圃や畑でたたかつてゐるやうに
弓矢銃丸《やだま》の間をくぐりむぐつて
いさましいはたらきをしたもんだ
子ども等よ
鐵のやうに頑丈であれ
やがて君達のお父さんがお爺さんのやうになる時
其時、君等はお父さんのやうな大人《おとな》になるのだ
此の時代と世界とを
そして立派にうけ繼ぐのだ
その君達のことを思へば
此の胸はうれしさで一ぱいになるぞ
おお勇敢な小獅子よ
お爺さんよりお父さんより
君等はもつとどんなに強くなることか
こつちをみろ

[#ここから1字下げ]
自分の此詩集が日光の中に出るやうになつたのは親友早坂掬紫、平井邦二郎、前田夕暮等の友情によつてであることを大なる感謝をもつてここに記しておく。更にこれらの名の中に自分は自分の妻ふじ子の名をもかき加へなければならない。
[#ここで字下げ終わり]



底本:「日本現代文學全集 54 千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集」講談社
   1966(昭和41)年8月19日発行
※「薄暮の祈り」と「後より來る者におくる」のあいだにおかれた土田杏村による跋を、別作品(「風は草木にささやいた 02 跋」土田杏村)として切り分けました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:田中敬三
2009年4月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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