れでいいのだ
それでみんな救はれるんだと
婦人はわたしの此の言葉によろこばされていそいそと歸つた
婦人は大きなお腹《なか》をしてゐた
それで獨り身だといつてゐた
キリストよ
それでよかつたか
何だかおそろしいやうな氣がしてならない
或る淫賣婦におくる詩
女よ
おんみは此の世のはてに立つてゐる
おんみの道はつきてゐる
おんみはそれをしつてゐる
いまこそおんみはその美しかつた肉體を大地にかへす時だ
靜かにその目をとぢて一切を忘れねばならぬ
おんみはいま何を考へてゐるか
おんみの無智の尊とさよ
おんみのくるしみ
それが世界《よ》の苦みであると知れ
ああそのくるしみによつて人間は赦される
おんみは人間を救つた
おんみもそれですくはれた
どんなことでもおんみをおもへばなんでもなくなる
おんみが夜夜《よるよる》うす暗い街角に餓ゑつかれて小猫のやうにたたずんでゐた時
それをみて石を投げつけたものは誰か
あの野獸のやうな人達をなぐさむるために
年頃のその芳醇な肉體を
ああ何の憎しみもなく人人のするがままにまかせた
齒を喰ひしばつた刹那の淫樂
此の忍耐は立派である
何といふきよらかな靈魂《たましひ》をおんみはもつのか
おんみは彼等の罪によつて汚れない
彼等を憐め
その罪によつておんみを苦め
その罪によつておんみを滅ぼす
彼等はそれとも知らないのだ
彼等はおのが手を洗ふことすら知らないのだ
泥濘《どろ》の中にて彼等のためにやさしくひらいた花のおんみ
どんなことでもつぶさに見たおんみ
うつくしいことみにくいこと
おんみはすべてをしりつくした
おんみの仕事はもう何一つ殘つてゐない
晴晴とした心をおもち
自由であれ
寛大であれ
ひとしれずながしながしたなみだによつて
みよ神神《かうがう》しいまで澄んだその瞳
聖母摩利亞のやうな崇高《けだか》さ
おんみは光りかがやいてゐるやうだ
おんみの前では自分の頭はおのづから垂れる
ああ地獄のゆり[#「ゆり」に傍点]よ
おんみの行爲は此の世をきよめた
おんみは人間の重荷をひとりで脊負ひ
人人のかはりをつとめた
それだのに捨てられたのだ
ああ正しい
いたましい地獄の白百合
猫よ
おんみはこれから何處へ行かうとするのか
おんみの道はつきてゐる
おんみの肉體《からだ》は腐りはじめた
大地よ
自分はなんにも言はない
此の接吻《くちつけ》を眞實のためにうけて
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